栗ヶ沢バプテスト教会

2023-01-08 主日礼拝説教

 

救いの訪れ

ルカ 191- 9

木村一充牧師

 

 現代社会において無視できない事柄の一つに「疎外」という問題があります。「疎外」とは、通常言われる意味は、「疎んじ、毛嫌いして、仲間はずれにすること」であります。他方で、この言葉を経済学の観点から定義すると、「人間が自ら作り出した社会制度や物事が、逆に人間を支配する疎遠な力として働き、その結果、人間があるべき本来の姿を失ってしまうこと」だと言われます。私は今の時代のインターネットが、まさにこれに該当するのではないかと思います。SNSなどを通じて、匿名で特定の個人を誹謗、中傷する。あるいはラインのグループなどで、特定の人物を仲間外れにする。本来であれば、情報の豊かなやり取りによって社会生活が便利になり、人間性が豊かにされるべきなのに、かえって、人間が作り出した情報通信機器によって、人間の本来あるべき姿が毀損され、損なわれるということが起こっているのです。

 この朝お読み頂いたルカによる福音書19章では、主イエスの一行がエルサレムに上る途中、エリコという町に入った時の出来事が書き記されています。その町に、ザアカイという徴税人の(かしら)がおりました。現代風に言うならば、エリコの町の税務署長とでも呼ぶことが出来るかもしれません。しかし、現代のわが国における税務署長とは異なり、イエスの時代のパレスチナにおける徴税人の社会的立場や評価は、とても劣悪なものでした。それは、この徴税人の仕事が、同胞であるユダヤ人たちから税金を取り立て、それを敵国であるローマに納めるという内容だったからです。このザアカイという人こそ、いま申し上げた「疎外」という現実を人一倍厳しく実感していた人物ではなかったかと私は思うのです。この時代に地中海世界を支配してしたローマは、属州からの税金の徴収を、自前の役人を派遣する形ではなく、現地の住民たちの中から募集して、請け負わせる形で行いました。支配国であるローマ帝国の力を傘に着て、同胞のユダヤ人から税金を取り立てたわけです。そのことから、彼らは同じユダヤ人たちから敵国ローマに税金を納める「売国奴」と見られ、ひどく嫌われていたのであります。

 本村凌ニという東大教養学部の元教授の著書に『はじめて読む人のローマ史1200年』という新書本があります。この本を読むと「なぜローマは大帝国になったのか」という標題のもとに、一つの章が設定されておりまして、そこにローマの帝国支配のやりかたが興味深く説明されています。すなわち、巨大なローマ帝国の内訳は、実は「小さな政府」であったというのです。最盛期のローマ帝国の人口は6000万人、属州は50もあり、常備軍としての兵士の数も40万人という大きな所帯でした。ところが、これだけの人数を統治する国家官僚の数は何と300人、地方公務員も全体で1万人程度だったといいます。この公務員の数は、現在のイギリスと比べると、約50分の1の規模だと本村教授は指摘しています。わずかの役人で、どのようにして統治を行ったのかというと、属州に派遣された役人が自分の手足となって働く人を現地で数多く雇い、実務を分担させたといいます。雇われた人の人件費はローマ政府が持ったのではなく、派遣された役人が持ちました。その結果、ローマ政府には莫大な税金、富が流れ込みました。本日のザアカイのような徴税請負人もこれと同じです。彼は、この地域に派遣されたローマの役人に雇われた人でした。このような請負人は、ローマ政府から割り当てられた税金を収めさえすれば、そのあと、それ以上の徴収をしても、ローマ政府は黙認していました。その結果、ノルマ以上の税金を取り立てて私腹を肥やす徴税人も現れたようです。もっとも、このような税金のピンハネは一定のレベルまでは見逃されましたが、無制限に認められたわけではありませんでした。というのも、余りにも税金が高くなると、属州住民から担当の役人が訴えられ、ローマ政府による裁判にかけられたからです。そのため、税金の額は適度のレベルで収まったようです。

 エリコという町は、ヨルダン川下流に広がる町で、川の東部地域(トランス・ヨルダン)地方に抜けるための交通の要衝でした。北部のガリラヤなどに住むユダヤ人が、エルサレムに巡礼に向かう際には、このエリコを通過するのが一般的しでした。有名なバルサムの林があり、その香りが辺り一面に漂っていたといいます。パレスチナでも最も肥沃な地域の一つであり、ヘロデ大王の別荘もここにありました。なつめやしやいちじくなどが取れる豊かな町であり、課税の中心地だったのがこのエリコでした。

 ザアカイは、このエリコの徴税人の(かしら)でした。ザアカイは裕福でしたが、幸福ではありませんでした。ザアカイという人は、祭司ザカリア、あるいは旧約の預言者ゼカリヤに由来する由緒正しいユダヤ人家系の出身だったのではないかと言われます。彼は名門の血筋だったということになります。わが国でも、先祖は戦国武将の伊達政宗だというお笑い芸人がいますが、彼が将来タレントになりたいと言ったら、家族から猛反対されたというエピソードを聞いたことがあります。なまじ由緒ある家柄出身であるだけに、一定程度人から尊敬される職業に就くことが求められるのです。恐らく、ザアカイも、徴税人という仕事に就いていることは本望ではなかったのではないでしょうか。多くの人から(さげす)まれ、憎まれ、ユダヤ人の社交の場所であるシナゴーグからも締め出されていた自らの立場を、痛みと感じていたのではないでしょうか。

 そのようなザアカイのもとに、喜びの訪れとも言える知らせが届きます。それは、イエス・キリストがこの町に来られるという知らせでした。ザアカイは、イエスがどのようなお方であるかを恐らく聞いていたはずです。すなわち、このお方は徴税人や遊女、体の不自由な人や目の見えない人々と進んで交わり、彼らを癒し、また、罪の赦しを宣言されるお方だという話を耳にしていたのです。そこで、彼は自分もイエスを見ようとして、一行が進む道へと足を運びます。しかし、ザアカイがこのような形で人前に姿を見せるということ自体、大変勇気がいることでした。なぜなら、この男が大勢の人に紛れ込むということは、この男に対する、民衆の日頃の怒りや憎しみを表す絶好の機会とされたからです。この時、ザアカイは人々から小突かれたり蹴られたりしたのではないでしょうか。3節に「背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。」とありますが、たぶん群衆はわざと彼を遮り、彼がイエスを見ることが出来ないようにした。ザアカイの邪魔をしたに違いありません。こんな時、背が低いということはハンディになりますね。私も中学生になって部活を決める際、陸上部を選びましたが、3月生まれのために背が低く、馬飛びのときに先輩たちが作る馬を飛ぶことが出来ずに、叱られ、いじめられて辛い思いをしました。ザアカイも背が低かった。それは彼にとって、劣等感を抱く大きな要因になったに違いないと思うのです。もしかしたら、彼が徴税人の道を選んだ理由の一つに「背が低い」ということへのコンプレックスがあったのではないか。背は低いが、お金の面では人に負けまいという思いが、彼にあったのではないか。ただ、そこにザアカイのプライドや傲慢さを見ることが出来ます。自分の弱い所を隠すために、他の部分で人を負かして自分を認めさせようとする。妙に強がったり、見栄を張ったりする。コンプレックス・劣等感は、実は傲慢さの変形ではないでしょうか。コンプレックスの強い人は、しばしば自己顕示欲も強いのです。

 群衆に遮られて、イエスの一行を見ることが出来なかったザアカイは、この時良いことを思い付きます。それは、主イエスが進む道を先回りして、高い所からイエスの一行を見下ろすということでした。そうすれば、誰にも邪魔をされずに十分に見ることが出来ます。そこで、彼は走って先回りし、いちじく桑の木に登りました。2012年にイスラエルを旅行した時、エリコの町に行き、バスを降りてザアカイが上ったといういちじく桑の木を見ました。それは、10メートル以上の巨木で、中庭のケヤキの木よりも、もう一回り大きく枝をはった木でした。添乗員の人が「これが、ザアカイが登ったいちじく桑の木です」と説明するのですが、私は「果たして、この木が本当に樹齢2000年の木だろうか」と疑問に思いました。いちじく桑の木の寿命が2000年以上もあるのかどうかが分からなかったのです。ともあれ、ザアカイはそうしてイエス様と出会うことが出来ました。この時、心に刻みたい言葉がイエスによって語られます。5節です。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。」ザアカイにしてみれば、木の上から主イエスを見下ろすということは気分が良いことだったに違いありません。しかし、その木の下に立って呼びかけられた神の子は、ザアカイにそこから降りてくるようお命じになります。ザアカイの強がりや見栄で全面武装したその心の深みにまで届く主イエスのこの言葉、それは「わたしはこの低さにいる。あなたもここに降りてきなさい。わたしは、ありのままのあなたのところに泊まりたいのだ」という意味です。神さまを受け入れるためには、私たちも自分の木から降りることが必要です。ある人には意地という木があり、他の人には自尊心(pride)という木があります。さらに他に人には、見栄、背伸びという木があります。そこから降りて、弱さや欠けのある()の自分、ありのままの自分を神さまに見せることが、神を信じるということなのです。

 こうして主イエスを受け入れたザアカイは、心を入れ替えて次のように告白します。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」律法の定めでは、盗んだ物を返す時は2倍にして返すように命じられていました。ザアカイが決めたことは、律法以上です。財産の大半を貧しい人に還元するというのです。ウイリアム・バークレーという英国の神学者の注解書には、次のような話が紹介されています。ある伝道集会が開催されたとき、集会に出席した人の中で4人の婦人が感謝の証しをしました。ところが、その4人の証しを苦虫をかみつぶしたような厳しい顔で聞いていたもう一人の婦人の姿がそこにありました。彼女も証しをするように誘われたが、断ったというのです。断った理由を聞かれて、その婦人はこう答えたそうです。「今、証しをした4人全員に私はお金を貸しています。しかし、まだ返してもらってないのです。私も家族も、今は餓死寸前なのですよ!」と。信仰の証しには、それを裏付ける行動が必要だとバークレーは言います。神の救いの恵みに対して、私たちには果たすべき責任があるというのです。ザアカイは、自身の果たすべき責任を主イエスの前で明らかにしました。これを聞いて、次の主の言葉が語られます。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」この言葉は、今ここにいるすべての人に語られています。頑なな心の武装を解除して、「ザアカイよ、今日あなたのところに泊まるつもりだよ」という主の呼びかけに「どうぞ、主よ」と応える者になりたいと思うのであります。

 

お祈りいたします。