栗ヶ沢バプテスト教会

2024-03-17主日礼拝説教

悲しみの道

ルカ2326-31

木村一充牧師

 

 3月も第3週となり、イースター礼拝の日まであと2週間となりました。教会の暦でレント(受難節)と呼ばれる季節を過ごしておりますが、レントとは主イエスのご受難を思い起こし、十字架への道を歩まれた主の御苦しみを覚えつつ慎み深く過ごすイースター前の40日の期間であります。おとといの金曜日に開催された「賛美歌を歌う会」では、前月2月に続いて、初めて当教会の集会に参加されたというお方がお見えになり、全体で16人の参加となりました。レントの季節にふさわしい曲として「カルバリ山の十字架につきて」という賛美歌をみなで歌いました。十字架につけられた主イエスのことを歌ったわけですが、その際に、講壇の後ろにある十字架が暗くて見づらかったたため、急きょライトをつけて照らしました。(今もライトがついていますね)もともと十字架とは、ローマの処刑方法の一つとして用いられた道具であり、当時のオリエント世界においては野蛮な犯罪者を殺す際に用いられました。ローマ帝国では、この処刑方法を奴隷である者が重大な罪を犯した場合、または属州におけるローマ帝国への反乱者に対してのみ用いたといいます。つまり、主イエスはローマ帝国に対する反逆者として処刑されたわけです。この刑が実施される時は、事前に受刑者は鞭で激しく打たれ、その後十字架の横木のほうを背負わされて、市中を引きずられた後、処刑場まで歩かされました。そこで、刑場で先に用意されている立木に釘を打ち付けて、受刑者を垂直に立たせたのです。受刑者を事前に鞭で打ったのは、そうすることで死期を早めるためであります。このように、十字架とは当時のローマ帝国下の刑罰でも最も残酷な処刑方法でした。

 本日お読み頂いた箇所のすぐ前の段落で、当時のユダヤの総督であったピラトというローマ総督のもとでおこなわれた裁判の様子が描かれています。イエスを捕えた神殿当局、すなわち祭司長や律法学者、最高法院の議員たちはイエスをピラトのもとに連れて行きました。「この男は誤った教えを説き、民衆を扇動した。自分こそ、王たるメシアだと言っている」という理由で、総督に訴えたのです。しかし、ピラトは彼らの前で次のように言います。13節です。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。」総督であるピラトはローマ皇帝に命じられてユダヤに派遣されたローマの官僚です。ローマの法律を守らなければいけないのです。もし、属州の総督が誤った裁判をした場合、逆に現地から皇帝に訴えられ、地位を失うことも珍しくありませんでした。そのような事情もあって、総督ピラトは「この男は死刑にあたるようなことは何もしていない」と言い切ったのです。ゆえに、鞭打ちの刑だけにとどめてイエスを釈放しようとした。ところが、ユダヤの群衆たちがそれに納得しなかった。彼らが「バラバではなく、イエスの方を十字架につけろ」と叫んだのです。つい数日前、エルサレムに子ロバに乗って入場した主イエスの一行を迎えるために、歓呼の声をあげ、なつめやしの枝(棕櫚の葉)を手に持って振りながら、イエスを迎えたのは彼らでした。「ホサナ。主の名によってこられる方に祝福があるように。イスラエルの王に」そう言って、彼らは主イエスを迎えました。この方こそ、ローマ皇帝に代わって自分たちの王になるべき人だ、彼らはそう信じてイエスを迎えたのです。しかし、その期待に、このイエスは応えてくれませんでした。期待を裏切られた失望感が、彼らの中にあったのかもしれません。「愛憎」という言葉があります。愛するのだけれでも、その愛の思い、期待を裏切られた時に、反対にその愛や期待への裏切りが許せなくなり、逆に激しい憎しみの思いが募ってくるのです。愛が自己実現の思いや我執と結びつくとき、それを裏切るものを憎むということが私たちにもあります。このときの群衆がまさにそうでした。彼らは冷静さを失っていました。ほかの福音書(マタイ福音書)では、「ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。『この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。』」と言ったと書かれています。ピラトは自分の手には負えない、と思ったのです。ローマの法の番人として行動すべき彼が、この時は自分の判決を曲げて、群衆に屈しました。もしも暴動が起ころうものなら、彼の評価は地に落ち、総督としての地位を失いかねません。ピラトの判断は高度な政治的判断でありました。この朝お読み頂いた箇所のすぐ前、2324節以下にはこう書かれています「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」ローマ法による支配ではなく、政治家としての保身と大衆に取り入ろうとするポピュリズム(大衆迎合主義)が、このときの裁判を支配したのであります。

 本日お読み頂いた箇所では、総督ピラトによる裁判を経て、ローマへの反逆者として処刑されることになった主イエスが、処刑場までの道を十字架を背負って歩む場面が描かれています。この道は、通常ラテン語で「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)と呼ばれます。イエスの十字架の死より2000年経った現在、この「悲しみの道」は、総督ピラトの官邸があったとされる場所から、聖墳墓教会までのおよそ500メートルの行程だとされています。2012年の3月、イスラエルを旅行し、エルサレムを訪れた際に、このヴィア・ドロローサを私どもは歩きました。そこは、石畳の通りで、坂道の多い路地でしたが、2000年前に、主がこの道を十字架を背負って歩まれたのかと思うと胸がしめつけられるような思いがしました。その途中で驚くことがありました。現地の人が、観光客にむけて記念写真を撮るための模型の十字架を有料で貸しつけているのです。同行した仲間の中にはこの道中で思わず涙ぐむ人もいる中で何と不謹慎なことかとがっかりしました。この時のイエスさまの痛みが他人事(ひとごと)なのかと言いたい気分でした。

 実は、本日の聖書ではまさにこのことが問題となっているのです。ここには二つの出来事が書き記されています。一つ目は、この十字架への道を主が歩まれる途中、キレネ人シモンが十字架を負わされたという出来事です。マルコ福音書では無理に負わされたと書かれていますから、シモンにしてみればいわばとばっちりだったと言えるでしょう。キレネという地名は現在の北アフリカ・リビアの地中海沿いにある港町です。シモンはユダヤの過越しの祭りに合わせて、1000キロを優に超える遠方の町からエルサレムにやってきたユダヤ人でした。ここで礼拝をささげ、親族が暮らす田舎に向かう途中だったのでしょう。ところが、城門の外へ出ると、何やら人だかりができている。イエスという男が十字架を負って処刑場につれて行かれる場面に出くわすのです。鞭による傷で血を流しながら重い十字架を担ぐ中でイエスは、何度も倒れたことでありましょう。それを見かねたローマの兵士が、たまたまそこを通りかかったシモンに声を掛け、イエスの十字架を一緒に担がせたのであります。シモンにしてみれば、迷惑な話です。しかし、ローマ兵の命令ですから断ることもできません。傷つき血を流して、よろめきながら十字架をかつぐこの犯罪人の後ろで、一緒に十字架を背負いながら、シモンは何を思ったでしょうか。なぜ、わたしがこの人の十字架を一緒に担がされるのだろう?理不尽なことだ、と思ったことでしょう。しかし、この場面を描く映画「パッション」(監督;メル・ギブソン)を見ると、処刑場までの道でその重さによろめくシモンの十字架を、逆にイエスが負おうとされる場面が出て来るのです。そこで言われていることは何か。それは、シモンとは私たち自身のことであるということです。

 前の教会で「三本の十字架」という絵本をもとに脚本を作り、それを劇にしてクリスマスで子どもたちに演じてもらったことがありました。私が台本を書いて、子どもたち全員でそれを演じたのです。ある山に生えていた三本の木が、のちに主イエスが生まれた飼い葉桶の木、主が逆巻く波の上で嵐を静めた時の舟の甲板、そして主がかけられた十字架の木になってゆくという物語です。最後の十字架の場面で、十字架につけられたイエス様を罵(ののし)る役を、ある女の子にお願いしました。すると、彼女は嫌だというのです。十字架につけられたイエス様を罵(ののし)ることなど私にはできない!と。深く心を動かされました。彼女にとって、イエス様の十字架は他人事ではなかったのです。イエスは、私のために傷つき、痛んでくださっているお方なのです。シモンにとってもそうなりました。このシモンは、のちにキリスト者となり、アレキサンデルとルフォスという二人のキリスト者の父親となります。彼の信仰が息子たちにも継承されたのです。シモンは、新約聖書の中で唯一、主が負われた十字架を一緒に担う羽目になった人物です。別な言い方をすれば、主が負われた十字架を共に担う恵みに与かることができた人物であります。

 二つ目の事件が、続く27節以下で描かれます。それは大勢の民衆と悲しみ嘆く婦人たちがイエスのあとについて行ったとある場面でのことです。主が婦人たちのほうを振り向いて「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」と言われたのです。彼女たちは、このような犯罪人たちの処刑の前に泣くことを仕事として請け負っていた「泣き女」と呼ばれる人々であった可能性があります。彼女たちは悲しみを演じることで報酬をもらっていた人たちでした。しかし、イエスの十字架を見て悲しまねばならない事柄は、イエスご自身のことではない。そうではなく、あなたがた自身とその子どもたちの運命なのだとイエスは言われるのです。いま、こうして主イエス・キリストが十字架におつきになろうとしている。それを見る私どもがまず思うべきこと、それは「お気の毒に…」とか「かわいそうに」ではありません。主の十字架は、ほかでもない私たち自身の罪を負われる出来事なのです。同情やあわれみではなく、私たち自身が悔い改めることを主は求めておられる。31節に「『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」とあります。生の木とはイエスご自身のことを指します。枯れた木とは罪人である私たちのこと、あるいは不信のイスラエルのことを指しています。イエス・キリストは、私たちの罪のために、すべての人に代わって十字架におつきになってくださいました。冒頭に紹介しました賛美歌にあるように、「カルバリの十字架、わがためなり」なのです。レントのただ中を過ごしながら、私たちの神が高い栄光の座にあるだけではなく、十字架の低みにまで降りてきてくださり、私たちの十字架を負うてくださった。そのことを深く心に刻みたいのであります。

お祈りいたします。