栗ヶ沢バプテスト教会

2024-03-24 棕櫚の主日礼拝説教

見よ、十字架のイエス

マルコ1533-39

木村一充牧師

 

 本日は棕櫚の日曜日と呼ばれる聖日であります。4つの福音書のすべてが描いている事柄ですが、主イエスは公生涯の最後に、過越しの祭りを祝うために弟子たちとともにエルサレムに入城されました。過越し祭とは春3月から4月にかけて祝うユダヤ最大の祭りで、大勢の人がそこに集いました。ヨハネの福音書12章によると、主イエスの一行がエルサレムに到着した時、人々はなつめやしの枝を持ってこれを振りながら「ホサナ、主の名によって来られる方に祝福があるように」と歓呼してこれを迎えたとあります。このなつめやしのことを英語では「palm」と言います。ゆえに、この日のことを英語で「Palm Sunday」と呼びます。日本語では、これを棕櫚の日曜日と呼ぶようになりました。この棕櫚の日曜日、すなわち本日から受難週に入ります。イエス・キリストの最後の一週間を覚え、心静かに祈りのうちに過ごすのであります。

 先週の日曜日には、主イエスが十字架につけられたあと、ヴィア・ドロローサと呼ばれる悲しみの道をキレネ人シモンと共に歩まれた場面をテキストとして、御言葉(みことば)に聞きました。本日はその「悲しみの道」を歩き終えて、犯罪人たちが処刑場に着き、ゴルゴタの丘と呼ばれる丘に3本の十字架が立てられた場面に入ってゆきます。ローマの兵士たちがイエスを十字架につけたのは、午前9時のことでありました。思えば、この日の未明、大祭司カヤパの家の中庭で開始されたイエスの裁判は、第一段階としての宗教裁判でありました。この裁判で、イエスは神殿当局から神を冒涜した罪に定められます。しかし、当時のユダヤはローマの属州であり、属州の住民がローマ総督の許可なしに死刑の執行をすることは許されていませんでした。そこで、夜が明けるとすぐに、神殿当局はイエスを総督ピラトの官邸に連れて行き、イエスをローマに対する政治犯に仕立てあげ、裁判を行うようにピラトに求めました。ユダヤの神殿当局はイエスを有罪とするためにいろいろな申し立てをします。しかし、イエスは、その間ずっと何も答えなかったと書かれています。ピラトにしてみても、訊問を重ね、イエスのローマ政府への反逆の裏付けとなる証拠を探したのですが、それを見つけることができなかった。そこで、祭りのたびに実施される恩赦の対象として、イエスを選ぼうとしました。ところが、ユダヤの群衆たちがこれを認めなかった。強盗と殺人のかどで逮捕されたバラバの方を恩赦で釈放し、イエスについては「十字架につけろ」と叫んだのであります。ピラトは群衆の暴動を収めようとして、バラバを釈放し、イエスのほうは十字架につける決定をくだしました。高度な政治的判断による判決、要するに保身のための裁判がおこなわれたのであります。

 15章の26節を読むと「罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった」とあります。ご存知のように十字架は立木と横木からできています。罪状書きとは、犯罪人を処刑する時に、その頭の後ろに置かれる板に当人の犯した罪の内容を書いたものです。皆さん、今までに裁判の傍聴をした経験がありますか。私は一度もありません。ただ、傍聴しようと思えばできるのです。日本では裁判は公開されていて、人々が傍聴するために殺到するというケースを例外として、自由に傍聴することができるのです。テレビドラマなどに出て来る裁判の傍聴シーンをみると、ほとんどの場合が刑事裁判ですね。民事の場合は、私人間のお金をめぐるトラブルや企業間の紛争の解決、損害賠償請求などの事案が多くを占め、第三者である外部の人がそれを聞いてもよくわかりません。(要するに面白くないのです)そこで刑事裁判を傍聴することが一般的になるわけですが、傍聴を希望する人が裁判所を訪れると、掲示板にその日の公判のスケジュールと法廷の場所、事件名、被告人の名前および罪状が記されています。名前:松戸太郎、罪状:窃盗罪といった具合です。その罪状を見て、その日に傍聴する裁判を決める人もいるといいます。ところが、本日の福音書のイエスの裁判では罪状書きには「ユダヤ人の王」と書かれていたとあります。これは肩書、呼称(呼び名)であって、罪状ではありません。そうでしょう?みなさんが仮に刑事裁判を傍聴しようとして、ある刑事事件の案内を見る。そこで、罪状書きを見る。そこに例えば「ふうてんの寅」と書かれていたらどう思いますか。馬鹿にしているのかと思うかもしれません。

 もともと刑法では、ある人が罪を犯してこれを国家(公権力)が罰する場合、その罪の名前とその刑罰の内容を、すべて法律で予め定めておかねばならない、というルールになっています。これを罪刑法定主義といいます。ところが、このときピラトはイエスの罪状として「ユダヤ人の王」という肩書を書くことしかできなかった。それは、ピラトがイエスを処刑するまっとうな理由を見出せなかったことを意味しています。濡れ衣という言葉を先週の説教で使いましたが、まさにその通りです。十字架という刑罰に値するだけの罪がイエスにはなかったのです。理不尽な話です。しかし、このような罪状書きがイエスの頭の後ろに置かれるのを知って、ローマの兵士たちは、イエスの頭に王としてふさわしい王冠の代わりに茨の冠をかぶせ、王笏のかわりに、葦でつくった棒でイエスの頭をたたきました。また紫の衣を着せて、一時的に高貴な身分の人を演じさせ、唾を吐きかけたのであります。私はこの場面を読むと、深く心が痛みます。イエスの裁判は、さまざまな点で「まともな裁判」ではなかった。まさに、私ども人間がかかえる罪が、一挙に噴き出るような形でおこなわれた裁判でありました。

 もし、私たちが神の前に立ち、その罪を罪状書きにして人目にさらされるとしたらどうでしょうか。恐らく、主イエスの場合のように、後ろに置かれた一枚の板ではとても書ききれないほどの罪がそこに記されるのではないかと思うのです。さきほど、罪刑法定主義という用語を紹介しましたが、大学時代に刑法の授業で、先生が次のように言われたことを思い起こします。「もしも、人が心の中で思ったことまで刑法で罰することができるということになったら、この国の刑務所は、犯罪人で溢れてどうにもならなくなってしまうだろう」と。心の中で思うことまで刑法で罰する事はしないというのです。しかし、本日のマルコ福音書は、罪のない神の子イエスが、理不尽にも処刑される場面を描こうとします。それはなぜか。それはこのお方が、私たちに代わって私たちの罪を担ってくださっていることを、私たちに伝えるためです。私たちの中にはどうしようもない、制御できないほどの罪があります。敵意、憎しみ、怒り、ねたみ、高慢、貪欲、自己中心の思い、など数えたらきりがありません。このような思いが私たちを神から引き離し、人と人の交わりや相互の信頼を壊すのです。かつて私にバプテスマを授けてくださった松村秀一先生は、ある日の週報の巻頭言で、次のように書いています。「わたしは大牟田バプテスト教会で11年間、常盤台バプテスト教会で33年間牧師として仕えてきました。その経験から、教会の中でサタンが働きやすい状況がいくつかあることに気付きました。そのうちの一番は、何と言っても本人のいないところでその人の悪い所を批判することでしょう。つまり、うわさ(陰口)です。本人がいないのですから、いっさいの弁解ができないのです。そして、尾ひれがつき、初めの話とは違ったものになります」だれかの陰口を言うことが、私たちにとって一種の快感になってはいないでしょうか。これは自戒の言葉として申し上げています。気を付けなければいけません。「陰口、うわさ、間接話法による忠告ほどいやらしいものはありません。サタンはそこで水を得た(さかな)のように元気に動き出します」と松村秀一先生は書いておられます。私たちの中には、誰かを貶めることで自分を優位に置こうとする、もしくは自分を守ろうとする本能とでもいうべき性質があります。それと戦わなければなりません。その人がいないところで、その人の悪いうわさ話になったときは、「この話はもうこれで終わりにしましょう」と勇気をもって話を打ち切るようにしたい。その人のことを本気で守ろうとしたら、うわさ話に花を咲かせることなどとてもできないからです。

 そこを通りかかった人が、主の十字架を見てこうののしりました。「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」しかし、このような嘲りの言葉を聞いても主イエスは何もお答えになりませんでした。ただ十字架上で苦しまれるだけでした。死人ラザロを復活させ、嵐を静め、病人を癒し、盲人の目を開くという驚くべき奇跡を次々となさったお方が、ここでは何もなさらない。ただ無力なままでいらっしゃる。なぜでしょうか。それは、十字架でお亡くなりになることが、そのままで神の愛の成就の出来事だったからです。イエスの十字架は、神がそのひとり子を死なせるほどに私たちを愛し抜かれたという神の真実を表しています。イエスの十字架によって、神は私ども人間のもっとも弱い所、低い所、どん底の底辺にまで降りてこられました。カール・バルトという神学者は、神はイエスの十字架の出来事を指して「神は異郷へと赴く神になられた」と表現しています。ある意味でイエスの十字架において、神は神であることを断念されたのです。神であることを拒否されたのです。それは、主の十字架によって、神が私ども罪人の姿を取り、その罪を赦し、贖い、それを通して私どもの罪と死を滅ぼすためであります。それゆえにこう言えます。イエスが十字架から降りて来なかったので、この方が私たちのまことの救い主であられるのだと。

 本日お読み頂いた箇所に、イエスの死を傍らで見ていた人たちの中に、ローマの百人隊長がいたことが書き記されています。およそ6000人から成るローマの軍団において、その中の100人を率いる小隊長であったこの人は、それまでに数多くの戦争に参加し、多くの死者を、その目で見てきたに違いありません。しかし、その彼が、神に捨てられた者として絶叫しつつ息を引き取られたイエスを見て「まことにこの人は神の子であった」と告白するのです。神殿の幕が裂けるのを見たから、こう告白したのではありません。そもそも、このゴルゴタの丘から神殿の聖所の幕を見ることなどできないのです。この百卒長は、神無き者として、つまり罪人となって死なれたこのイエスこそ、本物の神の子であると誰よりも先に告白したのです。ここに十字架の奥義があります。神さまは、私たちの心の奥にある深い悲しみと闇を担うことができるお方です。神が人となり、十字架の死さえ引き受けられる者となられたがゆえに、私たちはこの方を信じることが出来ます。十字架の上で死なれた方を仰ぎつつ、この神だからこそ、成し遂げられる救いの大きさを思うのであります。

お祈りいたします。