栗ヶ沢バプテスト教会

2024-03-31 イースター礼拝説教

霊の体への復活

Tコリント1542-49

木村一充牧師

 

 本日はイエス・キリストの復活をお祝いするイースター礼拝をささげる日曜日です。先週の一週間は受難週と呼ばれる一週であり、週の後半の木曜から土曜日にかけて、受難週の早天祈祷会がおこなわれました。特に、主イエスがお亡くなりになった金曜日329日は聖金曜日と呼ばれる特別な一日でしたが、この日は、対面とZoom参加者合計で5名の出席者のもと、早天の祈りの時をもちました。主イエスは、この金曜日の夜明け前に、まず大祭司カヤファの庭で神殿当局によって裁かれ、夜が明けるとすぐ、今度はローマ総督ピラトの官邸に連れてゆかれ、そこで二度目の裁判を受けます。このピラトの官邸での裁判で、十字架の刑に処せられることが決まったのです。

 こうして、主イエスはゴルゴタの丘の十字架上に立たれました。それは午前時のことでした。私は十字架の磔刑を描く福音書の記事を読むと、この場面を描くマティアス・グリューネヴァルトの絵を思い出します。フランス東部のイーゼンハイムという村の修道院にあるチャペルの祭壇画として書かれたこの絵は、幅4.6メートル、高さ約34メートルという大きな絵で、そこには十字架上で息を引き取られたイエス・キリストの姿が描かれています。この絵は今、コールマールという町の美術館に収められていますが、十字架のイエスを描く絵の中で、最もサイズが大きい作品の一つであります。当時イーゼンハイムの修道院は、疫病などの難病に苦しむ人々のための療養所をもつ修道院として知られていました。この絵の中央に十字架のイエス、右側にバプテスマのヨハネ、そして左側にはマグダラのマリアとイエスの母マリアが描かれています。中でも、母マリアはわが子の十字架を見て、気を失って倒れそうになっています。それを使徒ヨハネが背後から支えているのです。さらに、写真で見るかぎりはよく分かりませんが、実際にその絵の前でイエスのお体を見ると、全身至る所に発疹ができている。悪性の腫瘍に冒されているかのように見えるのです。グリューネヴァルトは、このように病を負う十字架のイエスを描くことで、「キリストは私たちの痛みを知っていてくださる」というメッセージを伝えようとしているのです。

 主イエスは、このような形で金曜日の午後3時に息を引き取られました。翌日土曜日はユダヤの安息日です。安息日には一切の労働をすることが禁じられます。物を買ったり料理をしたり、外出することもできませんでした。当然、亡くなった人を埋葬することもできません。そこで、マグダラのマリアは安息日が明けるやいなや(おそらく夜だったと思われます)包帯や香料を買い求めました。ユダヤでは、日没が一日の始まりだったのです。こうして週の初めの日曜日、その日の明け方、マグダラのマリアはイエスの墓に向かいました。十字架から降ろされたイエスの遺体は、ヨセフという議員の所有する墓地に収められました。しかし、その日は金曜日だったため、イエスの亡骸を丁重に葬るだけの時間はありませんでした。傷口を洗って包帯を巻き、香料をぬって防腐処置をするという、ユダヤの丁寧な葬りをして差し上げるために、マリアはこれらの品物を買いそろえて墓に向かったのです。ところが、墓の中を見るとそこは空っぽでした。ショックだったに違いありません。マリアにとって主のご遺体は大事でした。呆然として墓の前に立ち、ただ泣くだけだったマリアの前に、復活の主が現れました。しかし、マリアはそれがイエスだとわかりませんでした。彼が園の番人だと思ってこう尋ねます。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」これを聞いて、イエスは彼女に「マリア」と呼びかけました。この呼びかけで、マリアはその人がイエスだとわかったのです。彼女はヘブライ語で「ラボニ」と返事しました。これは「先生」という意味であるとヨハネ福音書は書きますが、正確には「私の先生」という意味です。イエスはこの私の先生だというのです。これがマリアと復活のイエスとの出会いの瞬間でした。そこで、マリアは思わず、イエスにしがみつこうとしました。ところが、イエスは言われます。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。」死んだはずのイエスにお会いできた。この方は復活の主イエスだとわかったのに、わたしに触れるなと言われたのです。なぜでしょうか。

 同じような疑問が、ルカによる福音書が描く復活物語からも生まれます。イエスの十字架の死を経験した二人の弟子たちが、エルサレムからエマオという郷里の村に帰るときのことです。その帰り道で、復活のイエスが近づいて一緒に歩いてくださったというのです。しかし、二人はこの方がイエスであると分かりませんでした。道中で、イエスから聖書の話を聞いたにもかかわらず、彼らには分からなかったのです。やがて目的の村に着き、彼らは「今日は家にお泊りください」と言ってイエスを引き留めます。夕食の時間になって、イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱えて二人に渡したその時、二人の目が開け、イエスであることが分かったといいます。ところが、二人がイエスだと分かったとき、姿が見えなくなったというのです。これらの記述は何を意味しているのでしょう。私は思います。イエス・キリストの復活という出来事は、人間がその目で見、その手で触って確かめる、というような出来事ではないということです。ヨハネによる福音書では、復活のイエスに出会うトマスという弟子の話があります。トマスは初めに「自分はイエスの手の傷を見なければ信じない」と言いました。その手の傷の中に指を差し込まなければ信じないと言ったのです。しかし、そのトマスが復活のイエスに実際に出会った時どうしたか。手の傷のことなど一言も口にせず、「わが主よ、わが神よ」と言ってイエスを拝したとヨハネは言うのです。自分の目の確かさ、自分の手の確かさよりも、イエス・キリストを信じるほうが遥かに確かであることが、トマスに分かったからではないでしょうか。我々は、人生の歩みの中でさまざまな証拠を求めます。確かな裏付けを欲しがるのです。しかし、どうにもならないような苦しみや悲しみに出会うたびに思うこと、それは今まで確かだと思っていたことが、どんなに確かでないかということです。あの人は信じられると思っていたのに、そうではなかった。あの人は自分を愛してくれていると思ったのに、そうではなかった。自分は健康だと信じていたのに、そうではなかった。このサプリを飲めば大丈夫と信じていたのに、そうではなかった。お医者さんだって信じられない。そのように、これこそ確かだと思ってきたことがそうではなかったということを、私たちは人生の歩みの中で経験します。そのとき、われわれの目で確かめたり、手で確かめたりすることよりも、神を信じることの方がはるかに確かだということに気付かされるのです。イエス・キリストの復活とは、神が今も生きて働いておられるということを、新約聖書的に表現したものです。神は死んだままの神ではないということです。このあとバプテスマ式がおこなわれますが、神が生きておられること、神が愛の神であられることは、こうして私どもが神の名によって礼拝をささげている、そのことだけで十分確かなことなのです。

 本日のお読み頂いたコリントの信徒への手紙一で、パウロは死者の復活をめぐってコリント教会の信徒たちから提出された質問に答えています。死者がどのような体で復活するのか、という質問です。しかし、このことは誰も本当には知らないことです。だから、この世の知恵や論理で復活は説明できません。しかし、比ゆ的になら説明出来ます。すなわち、復活とは、地中に蒔かれた一粒の麦から芽が出て新たな麦が生まれるように、土中の球根から芽が出てチューリップの花が咲くように、古き体が死んで新しい体が始まるのです。パウロは、そのような体の変容のことを「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。」と説いています。私たちは、地上の生を肉の体から出発します。しかし、イエス・キリストという救い主と出会い、その命と霊を頂くならば、私たちもいつの日か霊の体を持つことができるようになるのです。パウロはそれを「キリストを着る」という言葉で表しています。来たるべき世において私たちの現在の不完全さや欠けはすべて覆い尽くされ、私たちの体は聖霊で満たされるのです。イエス・キリストが復活したことは、私たちの神が愛の神として、死と罪に勝利されたことを意味します。主の復活をお祝いするイースターのよき日にバプテスマ式が行われ、古き自分に死に、新たな命によみがえる魂が私どもの教会に与えられたことを心から喜びたいのであります。

お祈りいたします。