栗ヶ沢バプテスト教会

2024-06-23 神学校週間礼拝説教

見よ、生きており

Uコリント61-10

木村一充牧師

 

 週報の巻頭言に書きましたように、本日は神学校週間礼拝として礼拝をささげる日曜日であります。バプテスト連盟の全国壮年会連合は、1970年代に、ちょうど女性連合が国外伝道の働きのため世界祈祷日週間を設けて、アジアやインドなどで福音宣教のために働く宣教師への支援を呼びかけたように、連盟の教派神学校である西南学院大学の神学部で学ぶ学生たちを経済的に支援する活動を開始しました。具体的には、神学生たちの授業料支援として第1種奨学金を定め、神学生たちが学費を支払うために、アルバイトなどをして時間を取られることがないよう、学びに専念できるような体制を整えます。さらに、授業料だけでなく、教科書や神学書を買うための費用として第2種奨学金を設けて神学生を生活面からもサポートすることを決定しました。ちなみに、私自身も1981年から3年間西南学院大学の神学部で学びましたが、この第2種奨学金の恩恵を大いに受けた者の一人です。当時のわたしは、この奨学金についてはすべてを書籍に回すことを決めておりましたので、(当時も今もキリスト教関連の専門書は、発行部数が少なくて値段が高いのです)奨学金を支給されるごとに、お目当ての本を福岡ヨルダン社で買い求めたことを思い起こします。本日の礼拝のあとの「報告」の時に、壮年会によるアピールの時間がありますが、今日からの1週間は、バプテスト連盟の神学校で学ぶ学生たちのことを覚え、祈りと献金による支援を呼びかける期間であります。

 さて本日は623日ですが、この日は神学校週間の初日というだけに留まらず、沖縄の日(命どぅ宝の日)として格別に覚える日です。本土決戦に先立ち、沖縄戦という戦争があったことを私たちは知っていますが、この戦いは太平洋戦争の末期、1945年の3月からアメリカ・イギリスの連合軍と日本軍との間で行われた戦争で、昭和20年の326日に始まり、組織的な戦争として42日から623日まで戦われました。この沖縄戦は現地の住民をも巻き込んでの大変な戦い=激戦となり、両軍の兵士や住民を含めておよそ20万人もの犠牲者が出た痛ましい戦争となりました。この日が日曜日と重なるのは何年かに一度のことですから、本日は特にこの沖縄戦のことを、振り返ってみたいと思います。この戦争で日本側の死者の数は188千人でした。そのうち、県外の兵士の犠牲者が約65千人、沖縄出身の犠牲者の数は122千人、うち94千人が民間人であったと報告されています。当時の沖縄の総人口が49万人でしたから、県民のおよそ4分の1が犠牲となったことになります。この数字がどれほど大きな数字であるかが、ウクライナ戦争と比べてみるとよくわかります。今から2年前にロシアによるウクライナ侵攻が起こり、それに伴う戦いが始まりました。あれから2年経った今年、20242月におこなわれたゼレンスキー大統領の記者会見によると、ウクライナ側では、兵士約31千人が死亡したということでした。丸2年が経過した時点での数字です。沖縄戦はわずか2か月余りで終わった戦いです。その戦争で20万人もの人が亡くなり、その半分近くが沖縄出身、しかも民間人だったというのです。この戦争には女学校の生徒たちも看護要員として動員され、犠牲となったことが知られています。戦争と言えば、広島、長崎のことばかりニュースの話題となりますが、それ以上に残酷で悲惨な戦争が沖縄の地でおこなわれたことを私たちは忘れてはなりません。

 「命どぅ宝」とは、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味であります。「お金やどんな所有物よりも大事なものは命である。命は失うと二度とに入れることはできない」という意味です。沖縄戦の末期、戦争の敗色が濃厚となってくるにつれて、沖縄では敵兵に殺されるより、むしろ自分から死んだ方がよいと考えて集団自決で命を失った人もおりました。そのような中で、集団自決することを決意していたある防空壕(沖縄ではガマとよんだそうです)の中の避難民の間で起きたひとつの出来事を紹介いたします。

 日本の敗色が濃厚となった沖縄のある地域に掘られた防空壕に住民たちが避難していました。リーダーであった人物が集団自決を呼びかけた時、一人の男性が立ち上がってこれを遮ったといいます。彼はこういました。「われわれは、鬼畜米英という言葉をずっと聞かされてきたが、アメリカ人は決して鬼でも獣でない。アメリカは自由な国だ。敵兵の前に投降し、捕虜になってでも生き延びよう。決して死んではいけない!」彼は若いころアメリカで生活した経験があって、そう言ったのです。こうして、そのガマの人たちは米軍の前に投降し、捕えられはしましたが、全員命を長らえることができたというのです。

 ここには、命に対するひとつのゆるぎない価値観、いわば哲学があります。日本人は恥の文化を持っているといいのす。しかし、キリスト教国では恥ではなく、罪のことが問題となります。神の前にいかに生きるかが問題になるのです。聖書が説く教えは、自らの命をかけがえのないものとして大切にせよという教えです。イエス・キリストは私たちの救いのために、死んで復活されました。それによって、私たちを生きる者とされたのです。捕囚期の預言者であったエゼキエルは、みずからもバビロンの地で捕囚民として生きた預言者でした。しかし、彼は主の召命を受けて預言者として生きることになります。エゼキエルは枯れた骨が積み上げられた谷の中に連れて行かれました。主なる神はエゼキエルに言います「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」エゼキエルは応えます。「主なる神よ、あなただけがそれをご存じです」こう答えると、主はエゼキエルにさらに命じました。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け」エゼキエルが、主の言葉通りに枯れた骨に向かって預言するとどうなったか。主なる神は彼らに向かって霊を吹き込みました。すると、彼らは生き返って自分の足で立ち、非常に大きな集団となったというのです。現代の教会もまた、これと同じです。私たちの周りにも枯れた骨があります。生きる目標を見失い、命を失いかけているような人がいます。そのような人に向かって、神の言葉、神の霊を頂くことによって、あなたも生き返ることができるのですよ。翻って生きよと語り告げるのです。

 この朝お読み頂いた聖書の箇所は、第二コリント書の61節以下です。一つ前の5章は、先週の教会学校で学んだ聖書箇所でした。ここでパウロは、神はキリストを通して私たちをご自分と和解させてくださったと述べます。この「和解」と訳される元のギリシャ語は「カタランゲー」という言葉で、交換するという意味を持つ言葉です。つまり、神さまは罪人である私たちに代わって、イエス・キリストというご自身の独り子に罪と死を引き受けさせ、その代わりにキリストにある永遠の命と救いを私たちに与えてくださったのです。しかも、その救いを受けるための代価を求めることを神はなさいません。ただ、それを信じるだけでよいと言われるのです。そこで、パウロは本日の箇所で言います。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。」たとえば、ある父親が息子の将来のために自分を犠牲にして苦労を重ねたとしましょう。彼は、愛する息子の将来を思い、できる限りのことをなし、将来への備えをしてやりました。ところが、息子の方はそれを少しもありがたいと思わず、父の骨折りに対して何の感謝もないばかりか、それを無駄にしてしまったら父親はどう思うでしょうか。その息子が人生の敗北者になってしまったらどうでしょうか。父親の悲しみはどれほど深いことでしょう。息子に能力がなかったからではありません。感謝がなかったのです。あれほど多くの愛を与えてくれた父の存在を忘れて、自分勝手な道を歩み、滅びへと向かってしまったのです。神さまと私たちの関係もそうだとパウロは言います。神の恵みは尽きることがありません。昨日は恵まれたけれども、今日はダメだったということではない。神の慈しみは尽きることが無いのです。先週の金曜日には「賛美歌を歌う会」が開催されました。当日は朝から強い雨が降り、午前中はどしゃぶりという大変な日でしたが、初めての方が5人も参加され、合計で20人もの人が参加してくださいました。今日の参加者は少ないだろう。覚悟しよう、と思った私は自分の不信仰を反省した次第でした。このように、キリストに結ばれた人はいつでも恵みの中に置かれているのです。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」このパウロの言葉を、心に刻みましょう。

 コリント教会において、パウロの敵対者たちはパウロを非難してこう言います。「あの彼の貧しさ、あの困難さを見なさい。あれでも、キリストの使徒と言えるのか?」と。しかし、パウロは手紙に記します。自分は「あらゆる忍耐において、艱難において、危機において、鞭打ちにおいて…左右にある義の武器によって栄光と恥辱によって、称賛と誹謗によって、神の僕としての自分を現していると言うのです。しかも、自分たちは、人に知られていないようで知られ、死んでいるように見えても「見よ、生きている」というのです。神の僕としてのパウロの生き方は、決して前途が閉ざされたお先真っ暗という生き方ではありません。神によって力強く今を生きていると言うのです。

 人生の歩みの中では、生きることが苦しくて、こんなに苦しいのならいっそ死なせてくれとつぶやきたくなるような時もあることでしょう。しかし、神さまを知っている人は、そのような時にも絶望せず生きなければならないことを知っています。なぜなら、命は自分のものではなく神に与えられたものだからです。最後に、聖学院大学の学長をされた姜尚中さんが書いた本「あなたは誰?私はここにいる」と言う本の中の一節を紹介してメッセージを終えます。それは姜さんの少年時代、熊本での出来事を記したものです。子どものころ、姜さんの家に不治の病として恐れられたハンセン氏病にかかっているおじさんが出入りしていたといいます。姜さんはそのおじさんを見かけると、そそくさと逃げるように外に出かけました。心の中は偏見という真っ黒な墨で塗りつぶされていたと言います。大人になって姜さんはそのおじさんに謝罪をするために会いに行ったといいます。おじさんは気にしなくていいと言うのですが、そのあとの言葉が私の心に残りました。「生きて、生きて、生き抜かんと…」ご自分の病気を受け容れ、誰を恨むでもなく生かされた命を大事に生きようとするこの方の決意の強さが窺い知れます。私たちも、このおじさんから学びます。運命だと思ってあきらめるのではなく、病気にかかっても俯くことをせずに、力強く生きるのです。私たちは、神の愛を知っています。たとえ困難に遭っても、それと向き合い、その困難を、信仰を、もって乗り越えてゆきたいのです。「見よ、生きており」とは、神の恵みに生きるキリスト者のスローガンであります。

お祈りいたします。