栗ヶ沢バプテスト教会

2024-07-07 主日礼拝説教

神の選び創世記2527-34

木村一充牧師

 

 この朝与えられた聖書箇所は、創世記の2527節以下です。新しい月7月になり、教会学校の分級で学ぶ聖書が、ふたたび創世記になったことを考慮して、本日の礼拝説教でも創世記から御言葉(みことば)に聞くことにしました。先ほど司式者にお読みいただいた箇所は、イサクとリベカの間に生まれた双子の兄弟のうち、弟のヤコブが兄エサウから長子の権利を奪い取るという事件を描いているところです。なぜ、このような事件が起きたのか、まずはここに至るまでの流れを振り返ってみます。

 信仰の父と呼ばれたアブラハムと妻サラとの間には、長い間子どもができませんでした。サラは高齢になり、もはや自分は子どもを産むことができないと考えて、エジプトの女奴隷であったハガルをアブラハムの側女(そばめ)として与え、ハガルによって与えられる息子(イシュマエル)を後継者にしようと決めます。ところが、そんなサラを主なる神は顧み、息子イサクが与えられたのです。イサクとは「笑い」という意味です。それは、アブラハムとサラがかつて行ったような疑いの笑いではなく、主の約束が成就したことへの喜びの笑いです。このようなかたちで高齢のアブラハムとサラに後継ぎが与えられたのです。この時アブラハムは100歳でした。やがて、息子イサクが成長し、年頃を迎えて妻を探すという段になって、アブラハムは移り住んだ先であるカナンの女性ではなく、自らの郷里パダン・アラムの女性を妻とするために、自らのしもべを遣わしました。侍従という立場であったこのしもべ(エリエゼルか)は、高価な贈り物を携えてハランの地へと旅だち、そこでリベカと出会います。英語ではレベッカと発音しますが、確かそんな名前の音楽バンドもありましたね。アブラアムのしもべは、主人アブラハムの意向をリベカの親族に伝え、リベカから「行きます」という返事をもらって、彼女をラクダに乗せ、イサクが羊飼いをしているヘブロンへと連れ帰るのであります。こうして、イサクとリベカは夫婦になります。イサクはこの時40歳でしたが、母サラと同様にリベカにも、しばらくの間子どもができませんでした。そこで、イサクはリベカのために主に祈ります。かつて父アブラハムが何度もそうした主に祈るという行為を、イサクもまた倣う者でありました。信仰者にとって祈りとは、自らの歩むべき道を主に求める行為です。私たちが神を信じているということは、私たちが祈ることができるということです。祈りのない人生、それはただ時流に流されるだけの浮草のような人生です。イスラエルの父祖たちは神の前に祈る人でありました。そのイサクの祈りを、主は聞き入れて下さり、リベカは身ごもります。このときイサクは60歳だったとすぐ前の26節に書かれています。なんと夫婦となってから、20年もの期間が過ぎていたわけですね。

 さて、このような形で子どもを授かったリベカでしたが、彼女のお腹の中では子どもたちがぶつかり合ったと記されます。(双子をお腹に宿したお母さんは、お腹の中で子どもたちがぶつかり合う様子が分かるのですね。)最初の妊娠で、双子を身ごもるということは、女性にとっては大変な経験であり、人生における肉体的・精神的な危機だったと思われます。リベカは「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけたと22節にあります。どこに出かけたのでしょうか?それは、主のための祭壇が築かれた聖所、礼拝の場所に出かけたのです。リベカは出産という人生の一大危機に遭遇して、初めて主の前に出て行って祈ったというのです。以上のことを通して分かることがあります。それは、イサクもリベカも人生の危機(急所となる時点)において、祈っているということです。エサウとヤコブという双子の兄弟は、この両親の切なる祈りの結果、与えられた子供たちであったということです。しかし、その兄弟たちの将来に関して、主なる神は予想外のことを語られました。それは、この二人からそれぞれの国民が分かれて分かれ出るということ、さらに兄が弟に仕えるようになるということであります。なぜ、兄が弟に仕えるという逆転の事態を主は予告されたのでしょうか。しかし、私たちは悟らねばなりません。神の選びは、人の思いを超えるということです。

 兄エサウは、エドム(赤い)という言葉と毛深い(セーアール)という二つのヘブライ語から来た名前です。弟のヤコブはアーケーブ(かかと)という言葉から来た名前です。母の胎内から出て来た時、兄のかかとをつかんでいたという事情によりますが、めったにない話ですね。やがて、時が流れ、長男のエサウは巧みな猟師(狩人)、野の人となりました。性格としては自立的、個人的であり、獲物を求めて駆け回るワイルドな性格だったと思われます。一方のヤコブは穏やかな人といわれ、天幕の周りで働く、つまり羊飼いとなりました。ここで「穏やかな人」と訳されるヘブライ語は、方舟を作ったあのノアの性格を言い表す「全き人」(口語訳69)と同じ言葉が使われています。両親や神の言葉に従順に従う人だったということです。狩猟者としての生活は、不安定であり、落ち着いた部族としての生活は難しくなるでしょう。一方で、牧羊者の生活は、四季折々の変化に順応して暮らしつつ、社会的なつながりをも大切にするものでした。しかし、二人の性格の違い、つまり二人の個性差が、神の選びを神の選びを決定づける要因になったとは思えません。二人の特徴、職業に問題はなかった。むしろ、二人の神と向きあう姿に、決定的な違いがありました。それが、本日の事件で浮き彫りにされます。29節を見てください。

 「ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。」疲れ切って帰ってきたといいますから、その日は成果がなかったのでしょう。仕事から帰って来ると、ヤコブがレンズ豆の煮ものをしていました。レンズ豆とは古くから中近東やインドでとれた植物で、さやの中に直径4ミリくらいの赤い豆が二つずつ並んで入っている野菜です。4ミリですから小豆よりも一回り小さい豆です。肉などと一緒に煮て食べました。エサウが狩りで飢え疲れて帰ってきたところ、ちょうどよい具合に料理ができていたのです。エサウはこれを見て、食べさせてくれと頼みました。「食べさせてくれ」と訳される原文は「飲み込ませてくれ」とも訳せる言葉です。よほど、お腹がすいていたのでしょう。これを聞いたヤコブは「まず、お兄さんの長子の特権を譲ってください」と交換条件を持ちかけます。相手のすきっ腹に乗じて、それに付け込んで、通常、長男に付与される長子の権利を、自分に譲ってくれと言うのです。ここで、長子の権利について触れておきます。長子はすべて神の前に聖別されるべき存在で、兄弟の中でも特に重んじられました。家系を絶やさず、父祖の遺産を継ぐ者として家長に次ぐ立場にあり、権利と同時に責任もありました。つまり、長子の権利には、宗教的な意味があったのです。長子は家長となって、家族の神を大切にし、礼拝を取りしきる責任を負っていたのです。ところが、エサウは空腹のあまり、長子の権利などどうでもよい、と言ってヤコブの交換条件をあっさりと認めてしまいます。そこで、ヤコブは長子の権利を譲ることをエサウに誓わせました。誓いは、契約書に代わるだけの確かな効力をもっていました。エサウは神の前に近い、ヤコブが提供したパンとレンズ豆の煮ものを食べます。「エサウは飲み食いしたあげく、立ち去っていった」という表現から、ただ食欲を満たすこと以外に関心がないようなエサウの態度がいきいきと描かれています。失ったものへのエサウの無関心は、そのまま霊的なものに対する無関心、霊的感受性の乏しさを示しています。

 私は以前関わった神学校で、ひとりの神学生と面談をし、将来のことについて話しあったことがありました。深刻な話が終わり、世間話、雑談へと移ったのですが、そのとき彼女が中学生時代に京都に修学旅行にいったときのことを聞きました。京都ですから、金閣や銀閣、清水寺、あるいは京都御所など、教科書に写真が載っているような名所をきっと訪ねたことでありましょう。そこで「京都の印象はどうだった?」と聞いてみたのです。すると、彼女は「お寺のことは覚えていないけれども、○○で食べた料理の味が今も忘れられない」と言うのです。それを聞いて、少しがっかりしたことを思い出すのです。聖なるものに対する関心、宗教的なるものへの興味よりも、料理の味の方が大事なのかという思いでした。このときのエサウがそうだったのです。エサウは、のちにヘテ人、すなわち外国人の女性と結婚します。神の民であるイスラエルの血筋を受け継ぐという責任を放棄するかのようなエサウの行為は、イサクとリベカを悲しませました。

 こう考えると、なぜ長男のエサウではなく弟のヤコブが選ばれたのかが分かるような気がします。ヤコブの行為は、決して褒められたものではありません。その狡猾な性格は、下手をすれば兄よりも質(たち)が悪かったかもしれません。けれども、ヤコブは“自分は神の祝福なしでは生きてゆけない人間だ”と自覚していたのではないでしょうか。ヤコブは神を求めていたのです。そう考えると、神の選びのもう一つの側面が見えてきます。それは、神さまは選ばれる資格などどこにもない人間、だからこそ、自分には神さまが必要だと言う人を選ばれるということです。後の話ですが、ヤコブは、ぺヌエルという場所で、神と組討してまで祝福を求めようとします。目に見えない神からの祝福を求め、神と取っ組み合いをするほどに神を求めたヤコブが、イスラエルと呼ばれ、創世記の主人公となっていることに私は驚きと不思議を覚えるのです。

 

お祈りいたします。