栗ヶ沢バプテスト教会

2024-09-22主日礼拝説教

預言者とその故郷

マルコ6:16

木村一充牧師

 

 本日お読み頂いたマルコによる福音書6章は、主イエスがガリラヤ湖沿いの町カファルナウム(カペナウム)で会堂長ヤイロの娘を蘇らせる奇跡の(わざ)を起こされた後、故郷のナザレに帰ってこられた時の様子を描く箇所です。イエスはこの町でヨセフとマリアの長男として生まれ育ち、大工として働きながら家計を支えてきました。イエスの家には、ほかに男兄弟が4人、女兄弟が数人いたことが本日の箇所に書かれています。3節をみると「この人はマリアの息子ではないか」という言葉があります。イエスは人々から「マリアの息子」と呼ばれています。このことから、すでに父ヨセフは若いうちに亡くなったのではないかと読む人もいます。だとすれば、イエスは長男として、幼い兄弟姉妹の面倒をみるためにも、早くから手に職をつけて母マリアや家族を支えてきたのではないかと想像されます。

 同じ3節に「大工」という言葉があります。大工と訳されている元の言葉は「テクトーン」といいますが、この言葉は日本語でイメージするノコギリやカンナで木材の寸法をととのえ、柱と梁で家づくりをする人ではなく、むしろ「技術者」を意味する言葉です。ギリシャの古い文献によると、テクトーンは船を作り、家や神殿を立てることができる人のことであると書かれています。イエスの時代においては、どの町や村でも鶏小屋から住居づくりまでを手掛けるテクトーンがおりました。もしかしたら、ナザレの村ではこのようなテクトーン(大工)は、ヨセフとイエスの親子だけしかなかったのではないかと考える人もいます。というのは、3節に「この人は大工ではないか」と書かれていますが、原文のギリシャ語には「大工」の前に定冠詞が付されています。原文のニュアンスどおりに訳すと「この人は、あの大工ではないか」となります。技術者イエスとしての名前が「あの人」としてナザレの村で知られていたわけです。

 ところが、そのようなイエスが20代の後半のことでしょうか、家を飛び出して、バプテスマのヨハネの活動に参加し、ヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けてその弟子になります。家族にとっては、晴天の霹靂ともいうべき出来事であり、それまで稼ぎ頭であったイエスを失ったことは大きな痛手だったことでしょう。かくいう私も、大学を卒業してそのまま西南学院神学部に学士入学したとき、家族からたいそう驚かれました。兄嫁などは、一充さんはゆくゆくは商社などの会社に入ってバリバリ働くものだと思っていたというのです。兄嫁も、兄と一緒になるまでは銀行勤めをしていたものですから、そういう感覚だったのでしょう。このような形で家を出て、伝道活動に入ったイエスと家族との関係が、その後どのようであったか、マルコ福音書は多くを語っていません。ただ、一箇所だけ身内の者とイエスとの関係について触れているところがあります。マルコ福音書の321節です。そこは、イエスの家族がカペナウムにいるイエスのところに会いに来るという場面です。しかし、それは兄を激励するためではありません。彼らはイエスの気が変になっているという悪い噂を聞いて、イエスに伝道活動をやめさせ、故郷に連れ戻すためにやってきたのです。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。」と聖書には書かれています。もし、私が働いている教会に、同じような形で兄たちがやってきたら、私はいっぺんに面目を失うことでしょう(そういうことはありませんでしたが)。この事実から分かるように、イエスとその家族、またその郷里の人々との関係は、必ずしも良好ではなかったと思われるのです。

 そのような中、満を持して主イエスは故郷のナザレに帰ってこられました。神の国が来たという知らせを福音として告げ知らせ、病人や障がいを持っている人々の体を癒し、数々の力ある(わざ)を人々の前でおこなってきたイエスの評判・名声は、故郷のナザレの人々のところにも届いていたはずです。オリンピックなどで、選手が金メダルをかけて戦うとき、その勝利の瞬間をテレビで見て誰よりも喜ぶのは故郷の人たちです。彼または彼女の出身校の後輩たちだったり、また小さい時からその成長ぶりを見てきていた郷里の人たちこそ、一番の応援者、サポーターになるのです。ところが、主イエスの場合、そうはいきませんでした。ナザレの人々が何と言ったか、それが2節に書かれています「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。」主イエスの語る言葉が、あまりにも素晴しすぎて、逆に受け入れてもらえなかったのです。彼らはイエスのことを子どもの時から知っています。いったいどこで聖書のことを勉強したのか。小さい時から大工の見習いをし、大人になっても忙しく大工仕事に明け暮れていたではないか。エルサレムに留学して高名なラビのもとで聖書の研究を重ねてきたというのなら話は分かる。ところが、この人はただの肉体労働者に過ぎなかった人ではないか。ナザレの人々はそのような眼差しでイエスのことをながめ、また評価しました。

 10月から教会学校ではエレミヤ書を学びます。旧約聖書の中でイザヤと並び立つ預言者として知られ、若い時に召命を受け、南ユダに迫りくる北からの脅威を説いて人々にまことの神への立ち返り、悔い改めを語った預言者です。ところが、そのようなエレミヤを、彼の出身地であるアナトトの人はどう見なしたか。エレミヤ書1121節に、次のような言葉がエレミヤから語られています。「それゆえ、主はこう言われる。/ アナトトの人々はあなたの命をねらい/ 『主の名によって預言するな』/ 我々の手にかかって死にたくなければ」と言う。」何と、アナトトの人々は預言者エレミヤの命を狙い、主の名によって預言すればわれわれは、お前の命を狙う」とまで言ったというのです。このあとのイエスの「預言者は自分の郷里では敬われない」(4節)という言葉は、このエレミヤの例が頭にあって出て来た言葉ではないかと思われます。

 私たちの中には、その人の過去のことを知っているがゆえに、その人の現在の活躍、その人の現在の言葉を受け容れようとしない頑なな思いがあるのではないでしょうか。西南学院の神学生時代に、水曜日の礼拝で同じ神学生が話したメッセージが思い起こされます。その彼は、仲間と一緒にある孤児院を訪ねたことがあり、そのときの体験を礼拝説教の中で語りました。その孤児院にはさまざまな事情で家族と一緒に暮らすことができない子どもたちが集まっていました。親が亡くなくなり身寄りのない子ども、両親の離婚や病気、育児放棄、さらには経済的な困窮など、子どもたちがここに来た理由はさまざまです。そこの園長先生をしている方に、その神学生は次のような質問をしたそうです。「こちらの施設で、園長先生はどのような思いで子どもたちと向きあい、どのような方針を持って子どもたちを育てる、或いは一緒に成長しようと考えておられますか」と。すると、園長先生は次のように答えたといいます。「ここでは、わたしどもは子どもたちの過去のことは一切問題にしません。ここに来てから始まる現在と将来に目を注ぎ、後ろではなく前を向いて、子どもたちが抱く将来の夢の実現に向かって、一緒に歩んでゆくというのが、わたしどもの方針です」子どもたちの過去は問題にしないという園長先生の言葉が、今も耳に残っています。イエス・キリストの教会もそうでなければならないのです。家柄や出自、過去の経歴は、信仰者のこれからの歩みとは関係がありません。ところが、ナザレではイエスの過去が問題にされたのです。ナザレの人たちは、イエスが決して裕福ではない家庭に育ち、かつ肉体労働者であったことを理由にイエスを受け容れようとしませんでした。「この人は、大工でないか」と言って軽蔑した。軽蔑しただけでなく、彼らはイエスにつまずいたと本日の聖書は書いています。スキャンダルの語源にもなっているこの動詞は、足元を掬われ倒れるという意味に加えて、ショックを受ける、怒りを起こさせる、という激しい意味を持つ動詞です。エレミヤと同じように、イエスのメッセージを聞いて人々は躓いた。反発を感じたというのです。

 しかし、ナザレの人たちがイエスにつまずいたのは、単にこの方の過去の経歴だけが原因ではないと私は思います。それは彼らの前に現れた預言者イエスの言葉が、必ずしも自分たちが聞きたくなかった言葉だったからです。エレミヤの場合もそうですが、神の言葉は決して私どもにとって耳障りの良い言葉だけではないという事実を、私どもは厳しく悟らねばなりません。時には、その生ぬるい信仰に対して警告を発し、反省を促し、その魂をぐさりと刺すような厳しさをもって迫ってくる言葉、それが神の言葉ではないでしょうか。そのような厳しい言葉を、子どものころからよく知っている人から聞くことに、人々は抵抗や反発を感じたのではないか。イエスの教えもまた耳障りの良い、心地よい教えではなかったはずです。むしろ、人々に悔い改めを迫り、チャレンジを与える厳しい内容を含んでいました。そのような厳しい言葉を、あの大工の倅から聞かされることを、ナザレの人々は面白くないと感じたのではないでしょうか。

 そこで、注目すべき言葉がこのあとの5節に登場します。お読みします。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。」ここで、福音書記者マルコは、神の子イエスといえども、ご自分を受け容れない民を前にしては、何の力ある業をも行うことができなかったと書きます。私たちが神の言葉を聞く時、それを受け入れる心の備えが無ければ、そこでは聖霊が働かないということです。英国最大の説教者として知られるバプテストの牧師にチャールズ・スポルジョンという人がいます。このスポルジョンのもとに、何人もの牧師が訪ねて来て、「どうすれば、あなたのような力強い説教を語ることができるのですか」と聞いてきたそうです。すると、スポルジョンは彼らを、自分の教会の祈祷室に連れていきました。そこには何人もの信徒が聖書を開いて黙想し、次の日曜日の牧師の説教のために祈っていたといいます。スポルジョンは「わたしの説教に力があるとすれば、それはこの人たちの祈りのおかげです」と答えたといいます。ナザレで、主イエスは力ある業(わざ)をまったくと言っていいほどお出来になりませんでした。それは、人々がイエスを受け容れてなかったからです。つまり、信仰がなければ奇跡や力ある業(わざ)を、神さえもお出来にならないのです。奇跡と信仰という二つの事柄は、自転車の両輪のようなものです。福音書の他の箇所で、主イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われます。信じるから奇跡が起きるのです。よく、奇跡を見せてくれ。それを見たら信じようと人はいいます。しかし、それは信仰ではありません。何もない所、見えない所から始まるのが信仰であってその信仰の後を追って、奇跡が起こるのです。信仰が先で、奇跡はそのあとの事柄です。先週の賛美歌を歌う会に、また新しい方がお見えになりました。14ヵ月前にこの会をスタートした時、どれほどの可能性があるか、どれ程の人が来てくださるか、全く分かっていませんでした。しかし、神さまは驚くべき御業(みわざ)を起こされます。私たちもまた、イエスからその不信仰を驚かれるようなことがないように、祈りつつ、主のなさる御業(みわざ)を見たいと思わされるのです。

お祈りいたします。