2024-10-06主日礼拝説教
「毒麦とは何か」
マタイ13:24〜30
木村一充牧師
今、水曜日の祈祷会では使徒言行録を学んでいます。使徒言行録は、最初の教会がエルサレムで成立した時から始めて、やがてユダヤ、サマリア、そして地の果てに至るまで、福音が全世界に広がっていく様子を、使徒たちの働きという視点から書き記した読み物です。著者であるルカは、福音書に続く第二の歴史書として、この書物をローマの高官であったテオフィロという人物に献呈するかたちで、第二巻として書き上げました。使徒言行録によると、最初の教会はエルサレムで成立しました。しかし、エルサレムでの福音宣教は決して楽ではありませんでした。むしろ、エルサレムは福音を宣べ伝えるには、たいへん困難な町であったと私は思います。なぜなら、そこはユダヤの神殿がある町であり、ユダヤ教の教えや慣習が人々の生活の隅々にまで行き渡っていたからです。イエスを救い主として告白し、キリスト者として生きるという新たなライフスタイルを切り開いてゆくことは、この町のクリスチャンたちには酷でした。実際、教会の中においてさえ、ヘブライ語を話すユダヤ人と、ギリシャ語を話すユダヤ人たちとの間には、対立や反感といった感情が生まれていました。少し乱暴な言い方になるかもしれませんが、ユダヤ教は神に選ばれた民であるユダヤ人の宗教です。彼らは神に選ばれた特別な民として生きるために律法を守りました。割礼や安息日を守り、ユダヤの暦に従って生活をしました。しかし、キリスト者たちはユダヤ教徒たちにとっての安息日(土曜日)とは違う日曜日に礼拝をささげ、また、割礼ではなくバプテスマを受けて新たな命を頂き、自由な生き方を唱えました。福音にあってはユダヤ人もギリシャ人もなく、信じる者の間には差別がないという主張をしました。ただ、このような形で生きたエルサレム教会のクリスチャンたちは、エルサレムに住むユダヤ人たちからさまざまな圧力や迫害を受けたことが推定されます。たとえば、ユダヤ教を信奉する大工職人たちの組合に、クリスチャン大工は入れてもらうことは出来ませんでした。なかなか、大工仕事を回してもらえないということが起こりました。その様な中で、ステファノという信徒リーダーが、ユダヤ教の当局者や指導者たちによるリンチを受けて殺され、ステファノは最初の殉教者となります。キリストの福音はエルサレムでは、なかなか受け入れられませんでした。そこで、クリスチャンたちは、散らされて行きました。ユダヤ、サマリア、シリア、小アジア、ギリシャという具合に、信徒たちは、まず北に上り、シリア地方で福音を宣べ伝え、そこから東方のメソポタミア地方ではなく、西側の国々に宣べ伝えてゆきました。そうして、この時代、ちょうどローマ帝国が支配する地中海世界において、福音は小アジア、ギリシャ、ローマという順で伝道が進み、キリスト教は世界宗教になっていったのです。
本日の聖書であるマタイによる福音書は、シリア地方で成立したと言われるマタイの教会の現実を映し出しています。「毒麦のたとえ」という題がついていますが、このたとえ話は、マルコ福音書の「種まきのたとえ」の部分をベースにして書かれた文章の中で、マルコにはないマタイだけのたとえ話として登場します。マタイの教会の現状を映し出しているのでしょう。この話に続く段落で、主イエスは「天国はからし種のようなものである」とおっしゃっています。小さな種がすくすくと伸びて、やがて空の鳥がそこに巣を張るほどの大きな野菜になると語られました。そのように、マタイの教会でも伝道が進展し、大きく成長したのでしょう。しかし、その伝道の成功とは裏腹に、一つの困った事態を教会は経験します。それは、こんなはずではなかったという経験です。確かに伝道はうまく進み、教会に新しい信徒が加えられました。しかし、その中には、間違った考えを持つ人もいたのです。一所懸命伝道した結果、教会は成長し、イエスを信じる信徒の数は増えていった。だが、気が付くと教会の中に混乱が生まれていた。そのような事態をマタイの教会は経験したのです。私がバプテスマを受けた常盤台教会も、順調な成長の中にありながらも、大変困難な時代を経験したことを聞きました。学生運動の嵐が吹き荒れた1960年代の終わりから70年にかけて、教会には多くの若者が集ってきました。しかし、同時に教会の中で政治的な問題が議論され、牧師との意見の違いから多くの若者が教会を去っていくということが起こったそうです。ひと世代前の先輩クリスチャンから、その当時の教会の様子を聞きました。松村秀一先生が、その彼にこう話されたそうです。「もしも、あの時、あなたまで教会を去るようなことがあったら、私は常盤台教会を辞任しようと思っていた」と。安保闘争や連合赤軍事件で、社会が激しく揺れ動いたその当時、異なった考えを持つ若い信徒たちをどう一つにまとめてゆくかは、日本の教会にとって大きな課題であったことを、思い知らされたことでした。
本日の箇所は、以前の口語訳聖書では次のような文章から始まっています。「天国は、良い種を自分の畑に蒔いておいた人のようなものである」よい種を蒔いた人とは、イエスの弟子たちのことであり、またその弟子たちに倣って、伝道に励んだマタイ教会を作った人々であったと言ってよいでしょう。彼らは、主人の言う通りに、選り分けた良い種を蒔きました。やがて、芽が出て成長し、花を咲かせて立派な麦になる。その収穫の日を楽しみにしながら、僕(しもべ)たちは種を蒔いたのです。ところが、人々が眠っている間に敵がやってきます。サタンとも言われるこの敵が、畑に毒麦の種も一緒にまいていったというのです。まさか蒔かれた種の中に毒麦の種も含まれていた、ということを彼らは思ってもみませんでした。しかし、敵がいたのです。しかも、このサタンが行(おこな)ったことの厄介な点は、似たような種を蒔くということです。週報の一面に説明しましたが、ここで毒麦と言われている植物は当時のパレスチナで「細麦(ほそむぎ」」と呼ばれる雑草でした。麦の苗と見分けがつかず、穂が出るようになって初めて良い麦との違いが分かる。しかし、そのころには麦と毒麦の根が複雑に絡み合っていて、毒麦を抜き取るとよい麦まで一緒に抜いてしまうことになるというのです。なぜ、このようなことが起きてしまうのか。神さまは、なぜサタンに毒麦の種を蒔かせ、一緒に育つようなことを御許しになったのでしょうか。そのことについて、聖書は何ら説明をしていません。しかし、考えられることがあります。それは、神の戦いは未だ続いているということです。神の最後の勝利の日は、まだ来ていないということです。
私は数年前まで、東京バプテスト神学校で講師として、いくつかの授業を担当しておりました。何年か前の伝道学の授業の時でしたが、ヨハネ福音書の「風は思いのままに吹く」という御言葉(みことば)を引用して、「教会の中で聖霊の風が、神の思いのままに吹くということが起こるためにも、私たちが神さまが喜ばれるような雰囲気を教会の中で作ってゆきましょう」と話したことがありました。すると、それを聞いた一人の神学生が次のような質問をしてきました。「木村先生は、そう言われますが、もしも教会の中に毒麦がいたらどうしますか?」私は、その時すぐに答えることができませんでした。しかし、今はこれに対してこう答えたいと思っています。「その人が毒麦であると、誰が決めるのですか?」と。宗教改革者のマルチン・ルターという人は、ある説教の中で次のように語っています。「神が教会を建てられると、悪魔はチャペルを建てる」チャペルという言葉は、ラテン語のカぺリウムという言葉が語源となってそこからきた言葉ですが、その意味は礼拝堂という意味です。教会とほぼ同じではないですか。誰が毒麦で、サタンの使いなのか、教会とチャペルの区別がつかないほどに、私たちには判別するのが難しいのではないでしょうか。
本日の説教題をみてください。「毒麦とは何か」とあって、「毒麦とは誰か」にはなっていません。私は毒麦とは、私たちの中にある罪、不信仰を指しているのではないかと考えています。つまり、誰もが持っているものです。私たちは、常に罪の誘惑を受け、下手をすればいつ不信仰の道へ走ってしまうかわからないほど信仰の弱い者です。他人のことをとやかく言えるような者ではありません。しばらく、教会生活を続けていると、自分とは考え方が違う人と出くわし、意見がぶつかって嫌な思いをするようなこともあるでしょう。しかし、考え方が違うからと言って関係をすべて断ち切り、白黒をはっきりさせるような態度を、聖書は勧めていません。なぜでしょうか。それは、人間は完全な者ではないからです。一方、この人は敵だと思っていたその人が、時が経つと状況が変わり、協力者になることもありえます。だから、信仰生活には寛容と忍耐が必要なのです。自分の信仰の理解はこうであり、あなたの信仰の理解とは違うということを言わねばならないときも、確かにあるでしょう。しかし、そこで大事なことは、この人の信仰は間違っているとたとえ思っても、ゆえにこの人は毒麦であり、引っこ抜いてしまおうと、私どもが裁き主になってはいけないということです。今日の聖書の言葉をお読みください。「そこで、僕たちが、では行って抜き集めておきましょうか」と言うと、主人は言った。「いや、毒麦を集める時、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさい。」終わりの日まで待てと、イエスは言われるのです。最後に判定されるのは神であり、私たちではありません。
私どもの主義、主張は一つの限界の中に置かれていることを悟らねばなりません。バプテスト教会は幼児洗礼を否定しています。しかし、幼児洗礼を神からの家族への祝福の出来事だと考える教派もあるのです。私たちは、お互いの違いを認めつつ、互いを尊重しなければなりません。そうでなければ、教派を超えて教会同士が協力することはできないでしょう。別な見方をすれば、主義・主張に限界があると言うことは、それ以上に神の恵みが大きいということです。敵をも生かす神の恵みがあるのです。私たちは、この神の恵みと愛を信じ、意見の違いや主義、主張の違いを乗り越えて、神の御業(みわざ)に信頼しつつ歩みたいと思います。教会だけでなく、家庭や職場においても、あせることなく、いらだつことなく、忍耐と寛容をもって信仰の歩みを重ねてゆきたいのです。
お祈りいたします。