2024-12-08 第二アドベント礼拝説教
「人間となられた神」
フィリピ2:6-11
木村一充牧師
イエス・キリストの誕生日が、正確に言えばいつであるのか。その本当のところは歴史学者たちにもわかっていません。その理由は、新約聖書以外にキリストの誕生を記録した文書が見つからないからです。初代教会が成立した時代、とくに東方教会(コンスタンチノープルを総本山とする教団です)においては、紀元3世紀まで1月6日をクリスマスとして祝っていました。4世紀になって、西方教会(ローマを総本山とする教団です)において12月25日をクリスマスとして祝い始めたといいます。それが徐々に広まり、21世紀になった今は世界中の教会が12月24日の夜から25日にかけてキリストの降誕を祝うようになったのです。キリスト誕生の日がいつであれ、主イエスの降誕を祝うクリスマスの祝日を持つことは、教会の信仰において、それなしでは済まされない重要な事柄になっています。なぜなら、この出来事を通して神が人となるという出来事が、心に刻まれるからです。それは、神と人との交わりが、これによってスタートしたということです。ヘブライ人への手紙8章を読みますと、キリストは偉大な大祭司として神と人の仲保者となられたと書かれています(へブル8:6)。仲保者とは「仲立ち」という意味です。昭和の時代くらいまで、わが国には「見合い結婚」という慣習、制度がありました。私と同年代くらいの人たちにも、見合い結婚をされたという人がたまにおられます。その際は、両家の家族のことをよく知っている方が仲人となって、結婚式までの段取りをすすめ、両家の縁結びの役割を果たします。それと同じように、イエス・キリストは神と人との間を取り持ち、両者の仲介者となってお互いを結びつける役割を担われるお方だと、ヘブライ書の著者は言うのです。
このクリスマスの出来事を、詩文のかたちで表した箇所が本日のフィリピの信徒への手紙2章6節以下であります。これはパウロがこの手紙を書いた時点で、すでに詩文として広く当時の教団の中で歌われていた賛美歌であったと考えられています。イエス・キリストがお生まれになったクリスマスの出来事は、マタイやルカの福音書の中ではマリアの懐妊と出産という出来事を通して描かれていますが、それを別の仕方で語っているのが本日のフィリピ書2章です。それは、神が人間となられたということです。礼拝の中での交読文として読まれることもあるこの箇所を、本日の聖書として共に分かち合いたいと思います。
本日の6節で言われていることは、「神のへりくだり」という事柄です。6節を読みましょう。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」ここで「身分」と訳されている原語(モルフェー;ギ)は、もともとは「姿、形」を意味する言葉です。ですから、以前の口語訳聖書では「キリストは、神のかたちであられたが」と訳されていました。ただ、こう訳すると外見が神のようであった、と誤解されかねないので、「身分」と訳したのでしょうが、佐竹明という新約学者は、ここは「本質」というふうに解釈するのが良いと注解書で述べています。キリストは、本質において神と等しいものであったと取るべきだ、というのです。これに従うと、キリストは本質的に神と同じ者であったのに、その神と同じ在り方を放棄して、僕(しもべ)の姿、人間の姿になられたというのです。「神と等しい者」が「人間と同じ者」になられたのです。しかし、このことは神の側から見れば、大変リスクのある事柄です。なぜなら、神は死ぬことがありませんが、人間は死を免れない。死ぬことを運命づけられているからです。クリスマスの出来事は、神の子であるイエスというお方が、神のままで居続けることを止めて、人間の姿、罪人の姿、死ぬべき姿になられたという出来事です。その姿勢は、このお方の十字架の死にいたるまで徹底的に貫き通されています。貫徹されているのです。私たちは、このことによって聖書が説く神の愛がどのようなものであるかを知らされます。それは、他者のために自分を無にし、自分をささげてゆく愛です。
話は変わりますが、皆さん、本田哲郎という神父のことをご存じでしょうか。この方は、1942年生まれで上智大学を卒業された後、1971年司祭の叙階を受け、さらに留学先のローマで神学の学びを重ねてこられた方です。ところが、1989年から本田神父は東京を離れ、大阪西成区の釜ヶ崎、いわゆる「あいりん地区」に移り住み、そこで日雇い労働者たちと一緒に生活しながら、聖書を読み直す生活を始められます。その間の経緯が「釜が崎と福音」という神父の本の中で紹介されています。1989年というと、わが国はバブル経済の真っ盛りでした。景気も悪くなかった時代です。本には次のように記されます。大阪環状線の新今宮という駅で下車し、階段を降りて地区内に入った途端、異様なにおいが鼻をついた。そこには、どろどろの毛布や布団が敷きっぱなしのままで、カップラーメンの空き箱、ワンカップ酒の空瓶、焼酎のびんなどが、あちこちに転がっていたというのです。昼間だというのに、何人かが集まって酒盛りをしていました。それを見て、本田神父は思いました。「自分は、カトリックの神父だ。こういう人たちにこそ、キリスト教を伝えなければいけない!」そのころの自分は「良い子症候群」にすっかり毒されて、人前で自分をよく見せようとする思いを抑えることができなかったといいます。その日の夜、11時過ぎのことでした。外で何人かの話声がするので、表に出てみた。ボランティアの人たちが夜回りをするというのです。本田神父は「私がリヤカーを引きます」と申し出ます。その地区では公園の植え込みやビルの陰など、あちこちでだれかが野宿している。そこに「毛布はいりませんか」と声をかけて回るのです。野宿をして眠っている一人の人の耳もとで声を掛けると、その人がびくっと反応して目を開け、こちらを睨みつけてきました。殴られるかもしれないと思って、思わず身構えたそうです。けれどもそのおじさんはこう言いました。「兄ちゃん、すまんな。おおきに」
そこで、本田神父は本の中で次のように告白しています。これまで、自分は人一倍聖書を学び、祈りの生活も重ねてきた。その自分が持っている神さまの力を、それを知らない人に分けてあげるのが、神父としての自分の務めだと思い込んでいた。教会でも、そのようなことしか教えてこなかった。しかし、本当は違うのではないか。人に分けてあげられる神さまの力など自分にはない。逆に、あの「兄ちゃん、すまんな。おおきに」と言ってくれたあのおじさんを通して、神さまが私を開放してくれたのではないかと。神の選びは貧しく小さくされた人の側にある、と本田神父は言います。私が、この本の中で特に深く心に残ったのは、この本の最初に紹介されている一枚の絵でした。フリッツ・アイヘンバーグというアメリカの画家が描いた、ニューヨークのある公園で行われていた炊き出しに並ぶ人たちの列を描いた版画です。(この絵です。見えるでしょうか)よく見ると、真ん中に立っているお方はイエスさまのようです。その頭の上が輝いているのが見て取れます。絵の下に、この絵に対するコメントの言葉があります。「小さくされた者の側に立つ神。――サービスする側にではなく、サービスを受けねばならない側に主はおられる。」神さまが助けを必要としている人の側におられる、という言葉こそ、クリスマスの奥義を指し示している言葉です。20歳の時に、私は大学生協の書籍コーナーで買った聖書を携え、それまで一度も行ったことのない教会の門をたたきました。なぜ教会に行き、神さまを信じる者になろうと思ったのか。なぜそれが出来たのか、その時点では分かりませんでした。しかし今思うに、その時の私は、神さまの助けが必要だったのだと思います。お前もまた、神の前では弱く小さな存在でしかないのだというお方、お前には私が必要だというお方、その方の導きの結果だと思うのです。
先週の週報の巻頭言にも書きましたが、クリスマス前の4週間のことを教会の暦でアドベントといいます。これはラテン語の「アドベントゥス」という言葉から来たものですが、「接近」とか「到来」という意味を持つ名詞です。イエス・キリストのご誕生が近づいてくるという意味です。しかし、この出来事は神の側から見れば、我が子を危険な場所に送り込むこと、異郷へと赴く旅にわが子を送り込むことでありました。クリスマスは、神にとっての冒険だったわけです。この「冒険」のことを英語で「アドベンチャー」と言います。これはアドベントから由来しています。クリスマスにおいて、主イエスは十字架へと向かう冒険の道を歩き始められたのであります。主はご自分のすべてを与えるためにこの世に来られ、その死と復活を通して、永遠に私たちと共にある神であり続けようとされました。その冒険の旅は今も終わっていません。主は今も私たちと共におられ、私たちが神と共にあるために今も執り成し続けておられます。
このように、クリスマスを神の冒険の出来事として理解する時、私たちの人生もまた冒険へと招かれていることを知らされるのではないでしょうか。神から離れ、自分の今の生活を守るために神の招きを拒否するこれまでの歩みを止めて、神の招きの中に入ってゆくこと、それは私たちにとって一つの冒険であります。神の招きに応える人生を歩み始めるのです。もう一つの意味で申せば、それは他の人々との関係性の問題、人との関りにおける冒険です。確かに、他者との関りを避けて、人に深く関わらないという生き方もありうることでしょう。時代劇の木枯し紋次郎のように、何か自分に取って面倒なことになると思うたびに、「あっしには関りのねえことでござんす」と言って、ひとり我が道を行く生き方です。しかし、そのような生き方はクリスマスにおいて示された神さまに応答する道ではないように思います。クリスマスの神は、傷つくことを引き受けられた神です。さらに、自らが受けた傷によって人々の傷を癒す神です。この神に応える人生を歩もうとすれば、自分の殻に閉じこもって、安全地帯に居続けることはできません。むしろ、神さまが私を愛し、助けるために来てくださったように、私たちも他者との交わりと連帯の中に入ってゆくのです。本田哲郎神父のように大阪まで行く必要はありません。私たちの身近なところにも「あいりん地区」があるはずです。
ある神学者は、冒険というテーマに関連して、次のような言葉を残しています。「危険を冒して失敗する
人生は、ゆるされる。しかし、危険も冒さず、決して失敗もしない人生は、その全体において失敗している」と。イエス・キリストの異教へと赴く旅も、ある人からみれば失敗だったかもしれません。しかし、父なる神は、それを決して失敗のままにはしませんでした。十字架の死のあと葬られて三日目の主の復活は、死の力をも終わりとしたのです。私たちもまた、神に出会い、神への献身と人々との連帯に生きる歩みを、冒険の旅ととらえ、その歩みを引き受けようではありませんか。
お祈りいたします。