栗ヶ沢バプテスト教会

2025-02-16 教会組織50周年、伝道開始55周年感謝礼拝説教

教会創立感謝

詩編10219

木村一充牧師

 

 たちの教会は、今年度教会組織50周年、さらに伝道開始55周年を迎えました。今日はこのことを記念してささげる感謝礼拝となります。教会のスタート時の状況をお聞きするために、私は今月の始め福岡に出かけ、当教会の草創期のメンバーであった蓑原善和さんに会ってきました。今97歳です。その面会を通して蓑原さんがどのような事情で栗ヶ沢教会の会員となり、奉仕を担うことになったのかをお聞きしてきました。蓑原さんは、東京都世田谷区の出身で東京生まれ、東京育ちの人です。高校を卒業し、九州大学に入学します。そこで主に農業についての学びをされ、大学院に進み、農学博士の課程を終えられました。大学の同期生にのちに京都教会の牧師となった石井光男さんがいたといます。大学時代、二人は福岡バプテスト教会に通っておりました。ところが、教会の牧師であった三善先生が辞任され、牧師館が空き家になってしまいます。それでは治安上も問題だということで、石井さんと蓑原さんは教会の牧師館に引越し、ふたりで教会()りの役割を担ったといいます。土曜日になると、教会の掃除や週報の印刷、配布の奉仕もしました。そのような生活をする中で石井先生は献身して、京都で牧師として働くようになります。蓑原さんは、そのころ「お前は献身しないのか」という神さまの声を何度も聞いたそうです。礼拝の場で、あるいは授業中、さらに福岡の街を歩いているその時に神さまの声が聞こえてきました。しかし、蓑原さんはどうしてもこれを受け入れることができなかったというのです。「木村先生、わたしの信仰の人生は「逃げの一手」に終始した人生だったんですよ」と自嘲気味に語られるのです。

 先ほどの写真スライド1枚目で、日曜学校で子どもたちの前に立つ蓑原さんの姿がありました。蓑原さんは九大を卒業したあと、柏市にある研究所で働くことになります。しかし、世田谷から柏市までの通勤はいかにも大変です。そこで、当時入居が始まっていた光ヶ丘団地に引っ越すことになり、そこで知り合いの夫婦が始めていた子ども会の集会を引き継ぐことになります。その夫婦がブラジルに転勤することになったからです。公団住宅だったにもかかわらず、集会所で日曜学校として子どもたちの面倒をみることを団地の住民の方は目をつぶってくれたといいます。こうして、蓑原さんは午前中に子どもたちを対象にした日曜学校、午後に大人たちによる主日礼拝をささげました。礼拝の場所は、最初は洋裁教室の2階でしたが、やがて富平さんの庭にプレハブの建物を立て、そこを礼拝の場所としました。1969年「光ヶ丘伝道所」は連盟直属の伝道所として公認されることになり、市川教会が母体となります。翌19702月、鍛治田武牧師が派遣されます。明るく元気な先生のもとで強勢も伸び、その年の8月に現在のこの場所に、最初の教会堂が建設されました。「逃げの一手であった信仰の人生」と蓑原さんは言われますが、とんでもありません。草創期の群れのリーダーとしての働きを懸命に担ってくださったその労苦を覚え、わたしは厚くお礼を申し上げました。

 初代牧師鍛治田武先生は、恰幅のよい明るく元気な先生でした。根木内小学校にお子さんを通わせる中で、ご自身もPTAの会長となられ、地域とのつながりを深められました。福岡に行った際に、2代目牧師の松見俊先生にお会いしましたが、松見先生によると鍛治田先生はデパ地下巡りが好きだったといいます。そこには、少し高級な食品、食材が売られています。鍛治田先生ご自身も料理好きで、先生から手料理をふるまわれた方も少なくなかったということです。さらに鍛治田みどり夫人も地域の方々との交流会を開いて機会あるごとに参加されました。造成直後の小金原団地は、下水も完備していなかったため、大雨がふると、前の道路が冠水しプール状態になった。そこで、坂道をおりてきた車が水浸しにならないよう、鍛治田先生は裸になって、道路の中に立ち、坂道から降りて来ないように手を上げて運転手を静止したといいます。1970年代の教会は、このように少しずつ開発が進む地域で人々と共に生きました。このような信仰の先達の働きがあって、今があるのだと思います。その後、栗ヶ沢教会は19744月に教会組織会議を開き、独自の信仰告白と教会規則・細則をもつ教会となります。教会として独り立ちをしたということです。初代鍛治田牧師のあと、2代目松見俊牧師、3代目川上敏夫牧師、4代目吉高叶牧師、5代目山田幸男牧師、6代目村上千代牧師、そして7代目に木村が教会から招聘され、牧師としてのつとめを担ってまいりました。1969年(55年前)というとわたしはまだ小学生です。今のような便利な時代ではありませんでした。道路の舗装さえも、十分に進んでいなかったと記憶しています。そのような時代に、教会は初代牧師を迎えて、会堂を立て、以来福音宣教の働きを続けてきました。

 そして、今20252月を迎えています。先ほどの写真集からも窺い知れますが、中庭でお餅をついたり教会堂でコンサートを開いたりすることができる教会は、そうそう多くあるわけではありません。今与えられた恵みを感謝しつつ、福音宣教の使命に堅く立ち、地域に根差す教会として、これからも十字架の救いを宣べ伝える教会であり続けたいと思わされるのです。

お祈りいたします。