栗ヶ沢バプテスト教会

2025-04-13 受難週主日礼拝説教

ペトロの否認

ルカ2254-62

木村一充牧師

 

 先週はマタイによる福音書26章から「ゲッセマネの祈り」の箇所を読みました。礼拝のあとの教会学校ではそれに続く場面を読みました。すなわち、イエスを裏切ったユダが、イエスを捕えるために神殿当局が遣わした群衆を引き連れて園にやってきた場面です。俳優のメル・ギブソンが監督となって作った映画「パッション」は、このイエスの逮捕の場面から映画がスタートしています。受難物語は、そこからクライマックスにさしかかるのです。彼らは剣や棒を手に持っており、そのままイエスを捕えました。主イエスはことさら抵抗することなく、あっさりと捕まえられたようであります。マタイとマルコの福音書によると、主イエスは捕えられた後、大祭司の家に連行され、そこに集まった最高法院の全議員の前で裁判にかけられます。大変厳しい場面が続くのです。この裁判大祭司の官邸での裁判が行われる前に、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去ったとマタイとマルコ福音書は描きます。そのような裁判に巻き込まれ、被告人になったら、イエスと同じ犯罪人として断罪されることになる。弟子たちの逃亡は無理のないことだったと言えるのかもしれません。

 ところが、本日お読み頂いたルカによる福音書を見ると、本日のイエスが逮捕される場面で、他の弟子たちどういう行動をとったかは書かれていません。さらに、最高法院での裁判も、この後の66節によると夜が明けてから始まったことになっています。実はルカのほうが自然です。なぜなら、ユダヤの法廷は通常日中に開かれることになっていたからです。福音書記者ルカは、イエスが捕えられた後の他の弟子たちの行動にはいっさい触れず、ペトロの行動にのみ焦点を当てて、ペトロにスポットライトを当てて、物語を描いてゆきます。なぜでしょうか。おそらく、それはルカがペトロの行動を通して弟子たち全員の姿を表現しようとしたからだと思います。ペトロの姿はほかの弟子たちの姿を表しています。いや、ペトロは私たちすべての信仰者を代表しているのです。54節を読みます。「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。」文の最後の「従った」という言葉は、ペトロがあのガリラヤ湖で漁をしていた時、魚が一杯取れて網が破けそうになるという体験をした後に、いっさいを捨ててイエスに従ったというあの時の「従う」と同じ言葉が使われています。ペトロは、本日の大変厳しい状況のなかでも主イエスに従ったのです。しかし、ここにはもう一つの言葉が加えられています。「遠く離れて」という言葉です。私たちの人生にも、しばしば思いがけぬピンチや試練、危機的な状況に出会い、自らの信仰が折れそうになることがあります。そのような時、私たちは沈黙し、人目をはばかりながら、神さまから遠く離れてしまうことがあるのではないでしょうか。恐れや不安の中で、足もともふらつきながら信仰の歩みを歩むことがあるのです。

 こうして、ペトロは少し遅れて大祭司の屋敷に着き、その中庭に入りました。そこでは人々が中庭で火を焚いていたとあります。3月下旬から4月の初めの過越しの祭りの季節は、春とはいえまだ寒いのです。わが国でも、花冷えという言葉があるように、桜の花が咲く季節でも冷たい雨がふり、今年は入学式のころまで桜の花が見られたようです。パレスチナも同じです。夜は冷え込みがきびしい。だから、人々は焚火をして体を温めたのです。ペトロもそこに腰をおろしました。すると、ある女中が彼を見て「この人も (イエスと) 一緒にいました」と言いました。この女性はどこでペトロと接点があったのでしょうか。いずれにしても、弟子の筆頭としてのペトロに彼女は見覚えがあったのです。これを聞いてペトロは答えます。「わたしはあの人を知らない」少し経ってから、また別の人が言います。「お前もあの連中の仲間だ」するとペトロは「いや、そうではない」と答えました。原文は「わたしではない」と書かれています。さらに一時間ほど経って別の人から「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言われます。ガリラヤの者だと言い切る根拠は、ペトロにガリラヤなまりがあったからだと思われます。私も時々「関西出身ですか」と聞かれることがありますが、純然たる関西人ではありません。ただ、話し言葉は簡単に変えられるものではありません。ペトロにもガリラヤなまりがあったのでしょう。これを聞いてペトロは「あなたの言うことは分からない」と答えました。「何を言っているのか、私にはさっぱり分からない」というニュアンスです。私たちも問い詰められ、窮地に立たされた時に、同じような言い方をしますね。

 こうして、ペトロが3度目の答えを言い終わるか終わらないうちに、突然ニワトリが泣いたというのです。ここで私たちは素朴な疑問を抱きます。エルサレムの都にニワトリがいたのでしょうか。当時の大祭司の家はエルサレムの中心部にあり、ふつう都会に鳥小屋などはありません。実際、私が2012年にエルサレムを訪ねた時も、ニワトリなど見たことはありませんでした。実は、この時のニワトリの泣き声は、ローマの駐屯部隊が夜間の守備隊を交代するときに吹いた合図のラッパの音だったのではないかと、W.バークレーという聖書学者は解説しています。ラテン語で、ラッパを吹くという行為を「ガルキニウム」といい、それは「ニワトリの泣き声を出す」という意味だというのです。それは、午前3時の定時にエルサレム神殿北側のローマ軍の要塞から吹き鳴らされたラッパの音でありました。つまり、ペトロが3度にわたってイエスを知らないと否認した時刻は、ちょうど午前3時だったということです。

 しかし、本日の箇所で大事なことはニワトリの鳴き声ではありません。本日の箇所で大切なことは、ペトロが、三度イエスを知らないと否んだその時、主が振り向いてペトロを見つめられたということです。そのイエスの眼差しによって「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」というイエスの言葉をペトロは思い出したのです。明朝には裁判が行われようとしているイエスのもとに、次々と神殿当局の関係者が集まってくるこの大祭司の庭で、イエスとペトロの目が合いました。それは、ペトロにとって決定的な瞬間でした。自分はこの人と一緒ならば、獄にでもどこでも行く、死んでもいいと威勢のいい言葉を放ったペトロが、ここではイエスを知らないと否認します。すると、イエスがそのペトロを見つめられたのです。このときの主イエスのまなざしは、どのようなものだったでしょうか。

 「それ見た事か、お前は、『わたしと一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と大見えを切っていながら、結局わたしが言った通り、わたしとの関係を否定してしまったではないか。」と、ペトロを冷たく責めるようなまなざしだったのでしょうか。いいえ、そうではないと思うのです。人は誰でもサタンの誘惑やこの世の試練、危機という揺さぶりを受けると、それまでどれほど自分の信仰の強さを誇り、どれほど勇ましい言葉を語っていた人であろうとも「わたしはあの人を知らない」と言ってしまうのです。しかし、そのような弱きペトロを主はしっかりと支え、抱き続けてくださる。そのような慈しみと愛の眼差しがこのときの主の眼差しだった。私にはそう思われます。

 本日の一つ前のページを開いて頂いてください。22章の31節以下を読みましょう。「ペトロの離反を予告する」という小見出しのあるところの31節以下にこうあります。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」「ふるいにかける」とは、穀物や豆類などをふるいにかけて選り分けることを指す言葉です。粉砂糖をケーキなどに振りかけるときに、このふるいを使います。転じて、ある基準によって、多くの者の中からその基準に適さないものを排除する、というときに使う言葉です。ペトロは、イエスの一番弟子であり、弟子の筆頭格というべき人物です。しかし、そのようなペトロさえも、神から離れてしまうことがある。イエスの弟子として不適格な者となってしまうというサタンの罠に陥ることを神が許すというのです。しかし、そのようなペトロに対して「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。」と言われます。「だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と続けて、主は言われます。主イエスの眼差しは、このような神から離れてしまう弱さをもつペトロのために、いや私たちすべての信仰者のために祈ると言われる、その祈りの思いを中に込めた慈愛の眼差しでありました。今、教会生活をしている私たちもそうではないでしょうか。信仰が弱っている兄弟姉妹がもしも身近にいたら、その人のために祈りましょう。その人の弱さや足りないところを責めるのではなく、存在そのものを認め、互いに励まし合いましょう。ペトロは、主の慈愛の眼差しをその目で認めて、主イエスのお言葉を思い出しました。そして、外に出て激しく泣いたのでした。

 このときペトロが流した涙はどのような涙だったのでしょうか。それは、主イエスの慈愛の深さに撃たれ、神の恵みに感極まって流した感謝の涙ではありませんでした。ペトロがここで泣いたことによって、彼が信仰の挫折から立ち直ったわけでもありません。むしろ、このときのペトロの涙は、自らの罪深さを存在の深みから告白する涙であったと思われます。かつてイエスの面前であれほど自信満々であった自分が、本当は神の前では何者でもないことを知る涙でした。自分の力をもってすればどうにかなる、何とかなるという思い込みが根底から覆され、崩されるような体験をペトロはこの時味わったのです。ペトロはこのような涙を流すことのできた人でした。そして、このとき体験が決定的な原体験となり、やがて復活の主と出会うことによって、力強くイエス・キリストを証しする伝道者となることができたのです。ペトロは、自らの挫折の経験を肥やしにして、教会の歴史に名を残す伝道者となったのです。私の知っているある会社は、一度でも失敗すると、それがその後の昇進や昇格に大きな影響を及ぼすになるといいます。だから、そこの社員たちは冒険ができません。しかし、教会はそうであってはならないと思います。失敗することを認め、失敗を通して成長する姿勢を身につけたいのです。失敗を責めるのでなく、同じ失敗を繰り返さないように、互いに励まし合うのです。私たちの失敗を赦し、認め、未来に向けてさらに大きな働きができるように祈ってくださる主イエスのまなざしを、感謝して受け止める者でありたいと思わされます。

 

お祈りいたします。