2025-05-04 主日礼拝説教
「天からのパン」
出エジプ記16:13-18
木村一充牧師
本日は、出エジプト記16章から御言葉(みことば)に耳を傾けます。イスラエルの民は、それまでエジプトの地でファラオの奴隷として厳しい労働に従事していました。神はイスラエルの民の叫びを聞き、神の人であるモーセを立て、イスラエルの民を奴隷の地から救い出すようにお命じになります。モーセはアロンという協力者を得てエジプトに向かい、エジプトの地で数々の災いを引き起こすことによって、頑ななファラオの心を転換させ、主なる神に従わせようとするのです。しかし、多くの災いに遭いながらも、ファラオはイスラエルの民を解き放つことをしませんでした。とうとう最後の災いである初子の災いを通して、ファラオはイスラエルの民をエジプトから去らせることを認めます。民は、大急ぎで旅の支度をし、モーセに従って約束の地カナンを目指してエジプトを出たのであります。それは、イスラエルの暦で1月、ニサンの月の14日のことでした。太陽暦では、3月下旬から4月中旬の季節であります。
本日の出エジプト記16章の冒頭部分を読みますと、イスラエルの民は雲の柱に導かれてエリムという地に到着し、そこを出発して、シンの荒れ野に向かったとあります。エリムという所には12の泉があり、70本のナツメヤシが茂っていました。つまり、そこはオアシスだったのです。イスラエルの民は恐らくここで喉のかわきをいやし、食料を十分に補充して荒れ野に向かったことでしょう。それは、第二の月の15日であったと書かれています。エジプトを出て、ちょうど1ヵ月が経過していたのです。しかし、彼らがこのとき向かった先はシナイ山の方角、(後ろの地図を見て頂くと分かりますが)つまりシナイ半島の南側であり、約束の地カナンとは反対方向です。つまり、目的地からは遠ざかるかたちで、イスラエルは旅を続けたのです。そして荒れ野に入りました。そこで、共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を言います。16章3節です。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
この民の不平、つぶやきを主なる神はお聞きになりました。そして、モーセに言われます。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。」ここには「見よ」という言葉があります。驚くべき神の御業(みわざ)が起ころうとしているのです。それは、日ごとの糧であるパンが天から降ってくるという出来事でした。それを毎日、必要な分だけ朝早く集めなさいと主は言われます。ただし、六日目は日ごとに集める分の二倍を集めることができると言われます。なぜ、二倍なのか。それは翌日分を集めなくて済むようにしたためです。七日目は安息日であり、その日に民を休ませるために、主なる神は二日分のパンを降らせてくださるというのです。荒れ野の中にあって、主なる神は主に従う民に日ごとの糧を与え、養ってくださるというのです。それは何を意味しているのでしょうか。
ここで、私はふと一つの問いを自分に投げかけます。イスラエルの民が経験したこと、すなわち、エジプトの地で食べることはできても、奴隷として生涯酷使されるという生き方と、荒れ野の中にあって、食べ物も飲み物も不十分だけれども、自由があり、安息日には神を礼拝することができる生き方と、二つのうちお前はどちらを選ぶか、という問いです。答えは明らかです。自由を与えられているほうです。エジプトでの生活と荒れ野での生活、どちらも楽ではありません。どちらにも苦労があります。しかし、たとえ荒れ野を歩んでも、神の言葉に従い、約束の地を目指して進む者に対して、主なる神は命の糧を与えてくださるというのです。天からのパンとは、私たちを生かし支えてくださる神の約束のしるしにほかなりません。イスラエルの民は、荒れ野での苦難の生活を前にして呟きました。しかし、それは、彼らが古き自分から抜けきっていないことの表れです。出エジプトによって、奴隷の状態から解き放たれ、自由を与えられたのに、その自由の厳しさに耐えられなくなって、かつての奴隷状態のほうが良かった、と言ってしまう。神はイスラエルの民をモーセを通して奴隷の地から導き出し、乳と蜜の流れるカナンの地へと帰ることを約束されました。しかし、せっかく自由の身になれたのに、かつてのエジプト時代を懐かしむ人がいたことを出エジプト記は記しています。民は、完全に自由になり切れていない。この弱さが、イスラエルの民が約束の地に帰るのに、40年もかかってしまった最大の原因です。エジプトからイスラエルまでの距離を考えてみてください。直線距離だとおよそ200キロ、シナイ半島を経由して遠回りしても500キロ程度です。東京から大阪までの線路の長さよりも短いのです。約束の地はすぐそこにあるのに、なかなかそこに入れない。何やら、現代の教会のようです。教会は小金原のこの地に立ち、神の言葉を聞こうと思えば簡単に中に入れるのに、入れない。教会がいかにも遠い。この世の力からもっと自由になろうではありませんか。
このあとの35節を読むと、イスラエルの人々は40年にわたってこのマナを食べた、と書かれています。それは、どんなものだったのでしょうか。先ほどお読み頂いた14節に「この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。」と書かれています。また31節には「それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。」とあります。神学校時代に旧約学の関谷先生から、マナとは決して作り話の産物ではなく、れっきとした自然の物であると教わりました。すなわち、シナイ山から車で2時間ほど北に走った先で、マナギョリュウという木が群生する林がある。その木の小枝に寄生した貝殻虫が、体に必要な窒素を取るためにその木から樹液を吸い取ろうとする。その時、一方で同時に、過剰な炭水化物を体の外に排泄する。この貝殻虫が排泄した炭水化物の分泌液が、夜中の冷気に触れることで固形化し、朝早く地に落ちるのだといいます。その色は白っぽく、ちょうど霜のように薄く地表を覆うというのです。これがマナであって、ほんのりと甘くおいしいので、今でもこの辺のベドウィンの貴重な食料となっているといいます。
このマナは、不思議な仕方でイスラエルの民を養いました。つまり、主が言われた通り、人々は朝早く出かけてそれぞれ必要な分を枡で量って集めました。ある者は多く集め、またある者は少なく集めました。ところが、オメル枡で量ってみると多く集めた者が余ることなく、少なく集めた者が足りなくなる、ということはなかったというのです。健康で元気で力があり、多く集めることのできる者がお腹いっぱい食べて満足する一方で、体力がなく、あるいは家族が多くて十分集めることができなかった者が、逆にひもじい思いをするようなことはなかったというのです。それは、イスラエルの人々が自分の力によって腹を満たしたのではなく、神さまが恵みによってすべての民を公平に養われたということです。このマナを人よりも多く集め、翌朝まで取っておこうとした人がいました。しかし、そのマナは虫がついて臭くなったといいます。人の力によって蓄え、それによって安心を得ようとする態度を神さまは許さなかったのです。神の言葉を聞く、これを読むこともこれと同じです。昔、聖書の通読を行った時、創世記などは面白くて一日に何章もまとめて読むということをしたことがありますが、一日一章で十分ではないでしょうか。蓄えによって、生活の余裕や安定を求めることは決して悪いことではありませんが、そのことで私たちが神から離れ、自分の力に依り頼んで生きるようにならないよう注意しなければなりません。
こう考えてみると、本日の天からのパンの物語は、イスラエルの民を訓練するための神の御業(みわざ)です。信仰に生きるとは、どのような時も主なる神が私したちに必要なものを与えてくださるという信頼に生きることです。主なる神は、七日目にマナを集めなくても、前日に二日分のマナを降らせてくださいます。この神に信頼し、厳しい荒れ野の中を歩もうとも、御言葉(みことば)に従って生きることの幸いを覚えたいと思うのであります。
お祈りいたします。